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2.アレストロ島 その二
ウィニーレイン国の中心に位置するアレストロ島に来てから、ウィンは毎日のように貴族の家から晩餐の招待を受けていた。三人の王女の中で、唯一婚約しなかったウィンアウト王女。その上、彼女はエシア女王の後継者に選ばれた。ウィニーレイン国の貴族にとっても、その他の貴族にとっても、彼女は喉から手が出るほど欲しい存在だったのだ。もちろん、エリックの実家、ベーカー公爵家にとっても、ウィンアウトは魅力たっぷりだった。ベーカー公爵家は、毎日のようにウィンに招待状を送り付けて来たのだ。
ウィンはそれら全てを無視した。ウィンはそのような政略的趣きの類が大嫌いなのだ。それに、今ベーカー公爵家に行っても、エリックがいない事は明白だ。それなのに、どうしてのこのこと遊びに行けるだろう。エリックがいれば答えは変わったかもしれないが、彼がいない限り絶対にイエスは有り得なかった。
―それなのに・・・私は今、ベーカー公爵家に向かっている・・・。―
ウィンは馬車の中から外をボンヤリと見ながら、溜め息を吐く。
―仕方ないわ・・・。ハンとエリックの為だもの・・・。―
ウィンは憂鬱な表情で、窓から見えてきた荘厳な建物を眺める。ウィニーレイン国一の大貴族、ベーカー公爵家の屋敷だ。
馬車から降りると、ベーカー公爵と、公爵夫人、そして少年と少女が出迎えていた。二人とも、公爵夫人にそっくりである。
「これは、ようこそおいで下さいました、ウィンアウト王女。」ベーカー公はにこやかにお辞儀する。
「いいえ。何度もお断りして済みません。」
「今日は王女様の御友人もいらっしゃると伺いましたが。」公爵夫人がにじり寄って聞く。ウィンは言い様の無い吐き気に襲われる。が、なんとか堪えた。
―どうしたの・・・。私・・・。―
ウィンは自分の喉元に手を当てながら考えるが、公爵夫人の探る様な視線に気が付いて急いで口を開く。
「今日は、わたくしの祖母、エシア女王陛下の御友人である、ザンシー族の長老の娘であるハンを連れてきましたの。そして、ここまでの案内は、貴殿の御子息、エリック殿にして頂きましたのよ。」ウィンはニッコリと笑って言う。
公爵夫人はあからさまに嫌そうな顔をする。ベーカー公爵も少し、表情を堅くした。
すぐに、態度を取り繕ったのはベーカー公爵だった。
「愚息が、貴女様に何か迷惑などをしなかったでしょうか。」
「いいえ、とんでもない。彼はとてもいい人ですわ。お友達になれて、好運に思っている所です。」ウィンは、唇が戦慄いている夫人を無視して、公爵に笑んで答える。
「それはよかった。では、お入り下さい。エリック、エスコートして差し上げなさい。」ベーカー公爵は、気だるげに馬車から降りるエリックを見つけると、鋭い声で命令した。
その時の、ベーカー公爵夫人の顔は、とても醜かった。
ウィン一行は、一番豪勢な客間に案内された。ウィンに続いて、ハンが客間に入るとき、ベーカー夫人はその小さな目に憎悪の色を浮かべて、ハンをキッと睨んだ。
ハンは、それを無視して悠然と部屋に入って行った。
「この・・・娼婦が・・・。」
吐き出すように、ベーカー夫人は呟いた。それは、もちろん、ハンの耳に届いたが、ハンは取り合わず、ウィンの元に歩いて行った。
ウィンはソファーに腰掛けて、侍女が運んできた紅茶を一口飲むと、口を開いた。
「今日は、ベーカー公にお頼みしたい事がありまして、訪れましたの。」
ベーカー公爵はやや眉を顰める。
「何でしょうか?」
「・・・ザンシー族の長老の娘、ハンと話し合い、エリックのこれからの処遇についてお二人で決めて欲しいのです。」
ウィンは大きく息を吸うと、言う。
段々と、ベーカー公爵の灰色の目が険しくなっていく。
「・・・それは・・・お節介と言うものではないでしょうか?貴女が王女でなかったら、私は貴女を訴えるところですよ。人の家庭に口を出さないで頂きたい。」ベーカー公爵は冷たく言い放つ。ウィンは、やっぱりこの人とエリックは親子なんだと、心の底から感じた。
「ええ、わかってますわ。私も、口など出したくありませんでした。でも、そうも言っていられない状況になってしまったのです。」
「・・・どういう事です?」ベーカー公爵の瞳が少し揺らぐ。
「早急にエリックの中にザンシー族の血が流れていると法律的に認められなければならないのです。大国の将来に関わります。」ウィンはベーカー公爵の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
ベーカー公爵はウィンをじっと見、それからおもむろにハンを見た。
ハンは久し振りにベーカー公爵のその灰色の瞳と向き合い、心が跳ね上がるのを感じた。
―この思いは、十年前と何一つ変わってないのね・・・。―ハンは自嘲的な笑みを浮かべた。
「・・・わかりました。ハン殿と息子の事を話し合いましょう。ハン殿、貴女さえよろしかったら、私の書斎で・・・。」
「ちょっと、あなた!本気でこんな穢れた女と話し合う気ですか?我がベーカー家を貶めるだけですわ!!」今まで辛くも黙っていたベーカー夫人は、堪らず声を荒げる。
ウィンは予想通りの反応をするベーカー夫人に嫌気を射しながら見る。彼女はその醜い顔を真っ赤にして、訴えている。
―醜い・・・。―
ウィンはその顔を見ていると、再び吐き気に襲われる。ウィンは思わず口を押えた。
「大丈夫か?」
エリックがウィンにそっと、囁く。
「ええ。・・・大丈夫よ。」ウィンは小さく微笑んで見せた。
ウィンの体調の変化はエリック以外気付かなかったようだ。
―よかった・・・。でも・・・どうしてベーカー夫人を見ると、気分が悪くなるのかしら・・・?今までは大丈夫なのに、今日に限ってなんて・・・。―
ウィンは小さく溜め息を吐いた。
「我が母国アレストロ大国の将来に関わるのだぞ。お前が口出しする事では無い。」ベーカー公爵はハッキリと言うと、ハンの方を見る。
ハンは頷いた。
「書斎でよろしいですわ。」
「では、参りましょう。ウィンアウト王女は、ここでくつろいで下さい。私は席を外しますが、妻と子ども達があなたをもてなします。」
「ええ。」ウィンは微笑した。