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2.アレストロ島 その三

 


ハンとベーカー公爵が部屋を出た瞬間、応接間の空気が一層淀む。ウィンは思わず口を押えた。吐き気がウィンを襲う。
「おい、ウィン!本当に大丈夫か?」
エリックはウィンの肩を揺らして聞く。
ウィンは微かに首を横に振るだけで精一杯だった。
「まあ、ウィンアウト王女。お機嫌がよろしくないのですか?」
ベーカー夫人はさも心配しているような表情で、その大きい顔をウィンに近づける。
ウィンはビクッと反応し、急いでエリックの後ろに隠れた。
「エリック・・・他の部屋に連れてって・・・。」
ウィンは消え入るような声でエリックに助けを求める。
エリックは頷くと、ウィンの手を引いて部屋を出ようとする。
「エリック!!お前、王女さまを連れて何処に行こうとしてるんだい?」
夫人は目をキッと釣り上げてエリックに鋭い声をかける。
「何処だっていいだろう。こんな豚ばっかがいる部屋なんてウィンも俺もいたくないのさ。」エリックは鼻を鳴らして言い放つと、ウィンを連れて出て行った。

ウィンは隣の小部屋に入った瞬間、大きく息を吸う。それから少し困った笑みを浮かべた。
「エリック、あなたちょっと言い過ぎよ?」
「あれくらい言ってやらないと、わかんないんだよ。で・・・ウィン、大丈夫か?」
「うん。さっきよりマシになったわ。・・・でも・・・どうしてかしら?エリック、笑わないでね?私・・・ベーカー夫人を見ると、吐き気に襲われるのよ・・・。あの目・・・あの目が恐いの・・・。」
ウィンはエリックの青い目を見つめて真剣に言う。
「まあ、吐きたくなるような顔だし、仕方ないんじゃないかな?」
「エリック!そういう意味で私が言ってるわけじゃないって、わかってるでしょ!!」
「冗談だよ・・・。」エリックはクスリと笑う。が、すぐに真顔になる。
「多分・・・あの女の実家がゴベー家だからだと思う。」
「ゴベー家?あの、北の森に領地を持つ貴族よね・・・?それがどうして?」
「お袋が教えてくれたんだ・・・。ゴベー家ってのは、ゴブリンの血が混じってるって・・・。」
「ゴブリンの血・・・。なるほど、それで・・・。でも・・・エリックがそんな事知ってるなんて意外だわ。」
「俺も夏の間に少しは勉強したさ。ほんの少し・・・だけどな。」
「ふーん。頑張ってるのね。ハンとは上手く行ってるの?」
「・・・まあな。」エリックは少し頬を染めて言う。恥かしいみたいだ。
「あっ、エリック頬が赤いわよ!ママが好きなのね!!」
ウィンはニヤリと笑ってエリックを指差す。
「ちっ違う!!」エリックは真っ赤になって、ウィンの手を払い退けようとした。
その時、二人はバランスを崩して倒れてしまう。
「っ・・・。」
ウィンがあいたたたと、目を開くと、目の前にエリックの綺麗な青い瞳があった。気がついたら、エリックの上にウィンが覆いかぶさっていたのだ。ウィンの顔はサァーっと赤くなる。
「あの・・・ごめんなさい・・・。」
ウィンは急いで起き上がろうとする。が、なぜか腕を引っ張られる。ウィンはバランスを崩して、エリックの胸元に倒れ込んだ。急いで頭を起こそうとするが、手で押さえつけられてしまう。
「エリック・・・?」ウィンは戸惑いの声を上げる。
「ウィン・・・。」
エリックは低く呟き、ウィンの肩にその端正な顔を埋める。エリックの吐く息が首にかかり、何とも言えない感覚に襲われる。全身が急激に熱くなった。
ウィンがどうすればいいかわからず困っていると、エリックは唐突にウィンを解放した。ウィンはホッと息を吐く。
「エリック、あなた大丈夫?」
ウィンはエリックの隣に腰掛けながら声をかける。
「悪い・・・。ちょっと・・・。」
エリックは自分の肩をギュッと抱きしめて、小さな声で言う。まるで、エリックが小さな男の子のように見える。ウィンは目を細めて、優しくエリックを抱き寄せる。
「心配なんでしょう?ベーカー公と、ハンが上手く行くかどうか・・・。大丈夫よ、私が保証するわ。」ウィンは凄く優しい声で言う。
エリックは驚いたようにウィンの顔を見る。それから、ポツリと呟いた。
「ありがとう・・・。」

二人が静かに座っていると、足音がする。ベーカー公爵とハンが戻ってきたのだ。エリックの顔が強張る。ウィンは敢えて笑顔を見せた。
「さあ、エリック。応接間に戻りましょ。」
エリックはゆっくりと立ち上がる。しかし、前に進む事はなかった。
ウィンは後ろから優しくエリックを押す。
「ほら、エリック。逃げるわけにはいかないでしょ?」
「・・・怖いんだ・・・。お袋も・・・親父も・・・俺のこと、本当はいらないって思ってたらどうしよう・・・。ウィン・・・俺、二人から嫌われてたらどうしよう・・・。」
エリックはポツリと、震える声で言う。下を向いていて表情は見えなかったが、肩が震えているので、泣いているのかもしれない。
「エリック・・・。」ウィンは少し迷った後、エリックの両肩に手を置き、爪先立ちになると頬にそっと口付けを落とす。そして、優しい声で告げる。
「大丈夫よ。二人ともあなたを愛しているわ。ハンの目を見れば、ハンがどんなにあなたを愛しているか、私にはわかる。それに、ベーカー公爵も、あなたの事を愛していると、私は確信してるの。ただ、公爵は上手くそれを伝えられないのよ。フフ・・・。あなたにそっくりよね。・・・それにね、二人が万が一あなたの事をいらないって言ったら、私があなたを貰ってあげるわ。忘れないで、エリック。私は最後まであなたの味方よ。・・・愛してるわ。」ウィンは最後の言葉を言った後、ハッとする。
―あれ・・・?今、私・・・何て言った・・・?『愛してる』って言わなかった・・・?―
自覚した途端、ウィンは真っ赤になる。
エリックは、ウィンの唐突な告白に驚き、目を真ん丸にしてウィンを見つめる。
「ウィン・・・今・・・。」
「な・・・何でも無いわ!さあ、行くわよ。」ウィンはエリックを置いて、戸を開けて出て行く。
エリックはそんなウィンの様子を見て、口端を上げる。
「俺も・・・ウィンを愛してるよ・・・。」
エリックは小さく呟いて、小部屋を出た。

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