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3.六月八日  その三

 

 

 ウィンは三十分も経たない内に起こされた。横には、王妃がいた。

 「お母様・・・。」ウィンは寝ぼけ眼で言う。

 「ウィンアウト、もうあのような騒ぎを起こさないで下さいね。後始末が大変だったのですから・・・。」王妃は少し怖い顔で言った。

 「ごめんなさい・・・。」ウィンは申し訳なさそうに言った。

 「まあ、いいわ。これであなたにも良い殿方が出来たということ。あの殿方はどなたです?見かけたことが無いけれども・・・。」王妃は顔を緩め、優しく言った。

 「お母様、少し勘違いしているようですわ。彼と私はただの友人です。」ウィンはハッキリと言う。

 「やっぱり・・・。そうだと思いましたよ。まあ、友情から発展する恋もありますから、そうなることを望みましょう。」王妃は疲れた顔で言うと、部屋から出て行った。

 王妃が出て行くと同時に、侍女が数人入ってきた。

 ウィンは侍女に手伝ってもらい、アレストロ風のドレスに着替えた。肩が大きく開き、たっぷりとしたスカートにぴったりとした袖のドレスは、アレストロ大国の王族の正装である。年に一度、アレストロ祭にのみ着るのだ。ウィンのドレスは、目と同じ、明るいグリーンであった。

 ウィンは、長い巻き毛を垂らし、頭の上に王女の冠を載せていた。純銀で出来たその小さな冠は、ウィンが正当なアレストロ大国の王女である印である。アレストロ大国の冠は、王子は純金の、王女は純銀の冠と、昔から決まっているのだ。

 ウィンは、四時になると、数人の侍女に付き添われ、アンの間の控え室へ向かった。もうそこには殆どの王族が揃っていた。イリネーは紺のドレスを着て、ソファーで本を読んでいる。ウィナーは明るいブルーの、ウィンネは真紅のドレスを着ていた。

 ウィンが部屋に入ると、薄いピンクのドレスを着たフィンと、黄金色のドレスを着たフィージーが近づいてきた。フィンの顔が少し怒っている。

 「ウィン!あの殿方はどういう事?」フィンは開口一番に言った。

 「ただの友達よ。今晩、紹介するわ。」ウィンは急いで言った。

 「ウィン、どうして会場から逃げたりするのよ。私たち、質問攻めにあって大変だったのよ。」フィンは、ウィンを責めた。

「ごめんなさい。」ウィンは本当に申し訳なさそうに、小さくなって言った。

「まあ、いいじゃない、フィン。ウィンもついキスしちゃったから、逃げるしかなかったでしょ?私たちさえも、人前でキスなんかしたら、大混乱が起こるわよ。ましてウィンの場合、急にお相手が出来たのだから、混乱は危険地帯に入るわ。そこに本人がいたら、ウィンはどうなっていたかわからないわよ。」冷静な声でフィージーが言った。

「どうしたの?フィージーがウィンを擁護するなんて珍しい!」フィンが驚いて言った。

「ちょっとね。ウィンには、これからは物事を考えて行動して欲しいわね。」フィージーはウィンに冷たく言い放った。

ウィンは、そんなフィージーを見ながら、一夏前のある出来事を思い出した。大叔母様主催のガーデンパーティーで、フィージーと彼女の婚約者、ケビンがキスをしたのだ。周囲の者は、フィージーとケビンの中を重々承知していたが、ケビンが一国の王女、しかも王位継承者にキスをしたことを許す訳がなく、パーティー会場は騒然となった。ケビンが騒然となった会場を、自力で鎮め、彼の株が騰がり、二人の愛は深まったのだった。しかし、フィージーはその時の事を心底恐ろしかったと言っていた。

ウィンが物思いに耽っていると、大きな鐘の音が聞こえてきた。舞踏会の始まりの合図だ。入場の順番は昔から決まっていた。エピ、ウー、イリン、ウィニーレイン国の順であった。まず、国王と王妃が入場し、年長の子供から入場するので、ウィンはエシア女王を除いて、一番最後だった。入場する際、中央の階段を降りて会場に行くのだが、そのアン王女の巨大な肖像画が掛かっているので、王族の入場を見つめる人々は、自然と降りてくる王族とアン王女を比べてしまうのだった。

最後に、ウィンが階段の頂上に現れると、人々は口々に呟いた。「アン王女だわ。」と。それほど、ウィンはアン王女に似ていたのだった。肖像画のアン王女は、赤味がかった金髪の巻き毛を垂らし、ウィンの着ているドレスより、少しだけ濃いグリーンのドレスを着て、深いグリーンの瞳に厳しい表情を浮かべた女性として描かれていた。

ウィンがイリン王家の席に着くと、アナウンスが入り、全員が改めて起立した。

「ウィニーレイン国の統治者にして、アレストロ大国の統治者でも在られる、我らが女王、エシア女王陛下のご入場です。」

大喝采と共に、エシア女王が入場された。エシア女王は深紫色のドレスの上に、白テンの毛皮が縁取られた深紅のマントを羽織っていた。女王の頭上には、アレストロ大国の統治者であることを示すドーム型の冠を頂いている。そして、手には王杓がが握られていた。

エシア女王はフロアに降りると、杯を手に取り、口を開いた。

「皆様、よく集まってくれました。アレストロ大国に乾杯したいところですが、その前に重大な発表があります。私の孫のうち、今回二人の孫の婚約者が決まりました。ウー国の第一王女、フィンニアは、フィロン・X・ミリンと。エピ国の第一王女、フィージニアはケルン・A・ミットと婚約しました。では、二組のカップルと、アレストロ大国に乾杯!」

エシア王女が杯を上げると、自然と拍手が起こった。そして、舞踏会が幕を開けた。まず、フィンとフィージーが、お互いのパートナーを連れて、ダンスを始めた。それに引き続き、みんなが踊りだしたが、ウィンはダンスに参加しなかった。ウィンは、キョロキョロと首を動かして、エリックを探していた。

 ―エリックは、何処にいるのかしら・・・。もしかして、来なかった・・・?―ウィンは少し不安になった。が、すぐにウィンの顔は綻ぶ。

「エリック、探したわよ。どうしてそんな端っこにいるのよ。」ウィンは、嬉しそうにエリックに近づいていった。エリックは、フロアの端にある柱の影にいたのだ。

「もしかして、ベーカー公爵は御存知ないの?」ウィンが近づいても一向に出て来なかったので、ウィンは少し心配そうに聞いた。

「・・・父は知ってる。ただ・・・夫人は知らない。」エリックはボソッと言った。

「えっ・・・夫人ってエリックのお母様の事・・・?」ウィンは首を傾けて言う。

 ―あれっ・・・。私、何か大切な事を忘れてない・・・?なんか、去年、公爵がおっしゃってたような・・・。―

「あんな女、俺の母親じゃ無い。」エリックはボソッと言う。

「へえー、ベーカー夫人が怖いんだ。・・・弱虫。」ウィンは、ニヤッと笑って言った。

「怖くなんかないさ。よし。ウィン、踊ろう。」そう言うと、エリックは強引にウィンの腕を引っ張り、ダンスフロアに入って行った。

 ―エリックって、案外幼いのね。―ウィンは優しい笑みを浮かべて思った。

「エリック、どうしてくれるの?私、今日は大人しくしていようと思ったのに。こんな所で踊ってしまったら、他の人の誘いを断れないじゃない。」ウィンはわざと拗ねて言った。

「ウィンこそ、怖いんじゃないのか?」エリックは余裕の笑みを浮かべて言った。

「怖くなんかないわ。面倒なだけ。」ウィンは、溜息を吐いた。

「ちょっと、ウィンアウト王女が踊っていらっしゃるわ。」

「本当!お相手の方、とっても美しいわね。」

二人の耳に、噂好きなご婦人方の声が聞こえてきた。

「やっぱり・・・。面倒な事になったわ。」ウィンが呟く。

「なあ、どうして面倒なのさ。」エリックがそっと聞いた。

「だって、こういう形で注目されるのって、大変なのよ。あとで、いろんな人に質問攻めにされるし、自分の息子はどうですか?自分の甥はどうですか?弟は?って、全く興味の無い男を押し付けてくるし・・・。これは昼の時みたいに逃げられないから困るのよね・・・。」

「・・・それが、君がダンスを踊らない理由?」エリックがそっと尋ねる。

「まあ、そうね。本当は踊るの嫌いじゃないんだけどね。お兄様が私と踊ってくれてた時は、結構踊ってたのよ。でも、お兄様に婚約者が出来て、私も婚約適齢期になってからは、中々駆け引き抜きで踊れなくなって・・・。純粋に踊りたいだけなのに。」そう言って、ウィンは苦しそうに笑った。「・・・なんで、エリックにこんな事話してしまったのかしら。せっかく踊ってるんだし、楽しみましょう。」ウィンはニッコリ笑うと、綺麗にターンをした。

 ―私としたことが、余計な事を喋っちゃったわ。でも、エリックと踊ってるのは、お兄様の時以上に楽しいのよね・・・。なんでだろう?―ウィンは、急に顔が赤くなっていく気がした。実際、ほんのり頬が赤味を帯びてきていた。

二人が夢中で踊っていると、一人の夫人が近づいてきた。ウィンが先に気付いて、足を止めた。

 ―・・・面倒なことになりそうね。―

「ご機嫌麗しゅう、ウィンアウト王女。エリックを借りても宜しいでしょうか。」貼り付けたような笑顔で、ベーカー夫人が言った。

「これは、これはベーカー公爵夫人。お久し振りですね。今、エリックが必要なのですか?後でもよろしいでしょう?」エリックが何か言いそうになったが、ウィンがその間に入って笑顔で言った。しかしその目は笑っていなかった。

 ―確かに・・・この女がエリックの母親とは考えられないわよね。他の二人の子どもはこの母親そっくりなのに、エリックは公爵に似ている・・・。あっ、でも・・・目の色は誰の目でもないわ。この母親は茶だし、公爵は確かグレイ・・・。―

「しかしですね、王女。この男はここにはいてはいけない筈なのです。なのになんでお前は!」ベーカー夫人が声を荒げた。

「・・・後妻が、前妻の子についてとやかく言う権利は無いんじゃないですか?」ウィンはとても冷たい声で言う。

「おい、ウィン!何言ってんだよ。」エリックは驚いて言う。

その時、一人の紳士が現れた。

「その通りだ。王女の前で見苦しいぞ。エリックの出席は私が許したのだ。」ベーカー公爵が夫人の後ろから現れて、言った。「ウィンアウト王女、失礼をお許し下さい。」

「いいのです。では、私とエリックは用事がありますので。これにて失礼しますわ。」ウィンは上品に言うと、驚きのあまり突っ立っているエリックの腕を引っ張って、その場から離れた。

「おい、前妻とか後妻とか、どういうことだよ!」エリックは、ようやく自分を取り戻して、言った。

「私思い出したの。去年、公爵にお会いした時、教えてくださったのよ。『王女と同じ年の息子がわたしにもいます。前妻との間に生まれた子なんですが、最近荒れていましてね。』って。すごくあなたの事心配してるみたいよ。『息子は学園ではうまくやっているのでしょうか?息子が公爵家を継ぐので、妻は気に入らないようで・・・。』っておっしゃってたわ。」

「・・・俺が公爵家の後を継ぐだと?はっ、笑えるな。ウィン、俺を慰める為に嘘を吐いているなら、止めてくれ。俺はベーカー公爵の私児さ。公爵が若気の至りで囲った愛人との間の子供。親父は俺のことを憎んでるんだぜ。自分の不注意で、遊びで付き合ってた女と、誤って子供を作って、自分の経歴に汚点を作ってしまったから。しかも、運の悪い事に、大国一の薄汚れた一族の女との間にな。」エリックは自嘲しながら言う。

と、その時イリン国の王妃が二人に近付いてくる。

「お母様!」ウィンが驚いて言う。

「王妃様・・・。」エリックがビックリして、お辞儀をすると、王妃が困ったように笑った。

「御免なさいね、邪魔をしてしまって。ウィンアウトが珍しく男性と一緒にいるので、つい気になってしまって。」

「お母様。」ウィンが咎める様に言うが、王妃は全く気にしていなかった。

「あなたとは、初めてお会いしたのよね。でも、どなたかと似ているようだけれど・・・。お名前は?」王妃は優しく聞いた。エリックは、黙っていた。ウィンは、エリックの瞳が微かに暗くなったように感じた。

 ―エリックは、ベーカー家の名前を知られたくないのかしら・・・。―

「お母様、彼はただの学友よ。私たちはお母様の思っているような関係ではないの。それで、何の用かしら?」

「これから儀式よ、ウィンアウト。エリックっでしたっけ?あなたもいらっしゃいな。せっかく出来たウィンアウトのお友達だし、中に入る位なら大丈夫でしょう。それに、ダンスの大嫌いなウィンアウトが久々に踊ったお相手ですもの。お昼のお相手も、あなたなのでしょう?」王妃はエリックに向かって言った。その目は、冷たく何かを探るようなものであった。エリックは、暗さを増した瞳で睨み返した。ウィンも少し不機嫌になったようだ。

「お母様!もういいでしょう!!」ウィンの言葉は少し冷たかった。「まあ、いいわ。さあエリック、入りましょう。お母様の気が変わらない内に。」ウィンはエリックの腕を掴むと、グイグイと中に入っていった。

 

 

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