第七章

 

 

 

部屋は茶で統一されているシックな部屋だった。楓の木の匂いが微かに香り、テーブルにはカモミールが活けてあった。アイリスは少し、我が家を彷彿させるようなこの部屋が気に入った。ベッド脇に、神殿に置いて来ていたアイリスの旅行鞄が置いてあった。

アイリスは旅行鞄を開けて、僅かな荷物を取り出す。王宮で宛がわれていた部屋にはあまりにも似合わなかっただろうが、この部屋ならあまり違和感を感じない。アイリスは祖母から去年の誕生日に貰った手鏡を取り出して、自分の顔を映してみた。

鏡には、赤茶色の巻き毛に縁取られた色白の少女が映っていた。海の上で焼いてしまって、そばかすが幾つか出来ていたはずなのに、いつの間にか綺麗さっぱり消えている。そして、いつも血色の悪かった顔が、今日は幾分顔色が良いようだ。

アイリスは溜息を吐いて鏡を置いた。

その時、扉がノックされる。

アイリスが首を傾げながらドアを開けると、ローヤルがいた。

「アイリス、父上と母上が君に会いたがってるんだ。ちょっといいかな?」

「ええ。」アイリスは少し顔を強張らせて答えた。

二人は階段を下り、廊下の突き当りにある部屋に入った。そこは、ローヤルの父親の事務室であった。こじんまりとした部屋で、奥にテーブルがあり、そこにローヤルの両親はいた。

「やあ、アイリス。そこのソファーに座りなさい。」チャイドナリー氏はにこやかに言う。

アイリスはローヤルと並んで腰掛けた。

「部屋は気に入ってくれたかな?」

「あっ、はい。とっても素敵な部屋ですね。」アイリスは緊張気味な笑顔で答える。知った顔でも、本当に知っている人だとはどうしても思えなかった。いつも生やしている髭も、ここではバッチリと手入れされて、貴族の雰囲気をバシバシと伝えている。物腰もすごくエレガントだ。毎日林檎の木を世話していたローヤルのお父さんと同一人物とは俄かに思えなかった。

「それは良かった。私はもともと、あの土地が好きでね。子供の頃も何度か遊びに行っていたのだよ。そこで、この屋敷も少し田舎染みた作りにしてみたのさ。子供部屋は全部あのような感じだよ。」楽しそうにチャイドナリー氏は話す。その時、少しだけ林檎の木の下にいた、チャイドナリー氏と重なった。アイリスは肩の力を僅かに抜く。

「さて、本題に入ろうか。これから、君はこの国の貴族と共に暮らす事になる。今までのままでは、すぐに苛めてしまうだろう。だから、学校が始まるまでの一ヶ月の間、私の妻から上流社会のマナーを学んでもらいたい。」チャイドナリー氏は真剣な表情で言う。

「はい。」アイリスは背筋を伸ばすとすぐに答えた。

すると、ローヤルの母親が口を開いた。

「では、アイリス。まず、この服を着なさい。」そう言うと、チャイドナリー夫人は優雅に立って、脇に置いてあった木箱から一着のワンピースを取り出した。

それは、アイリスが今まで見た中で、一番素敵な服だったが、その服のデザインを彼女は一度も見た事が無かった。そのワンピースは襟が大きく、襟の縁にはラインが一本入っていた。襟からリボンが出ていて、胸元で結ばれていた。

「これはセーラー服というものです。この服は、神のメダルを持ち、神職につく運命にない女性が着る服です。昔は、皆、神を深く信仰し、神に愛されていましたから、女性は皆、この服を着ていました。しかし、徐々に信仰心が薄れて、誰もいなくなったのです。昔は、王室の女性も着ていましたが、一般庶民と同じ服は嫌だと言って、着なくなったのです。それから女性で神のメダルを持つ者はいなくなり、今では王族以外の女性は皆、神職に就くべきメダル、銀のメダルしか現れなくなったのです。あなたのメダルは金。だから、あなたはこの服を着るのです。」夫人はそっとアイリスに手渡す。

「・・・わかりました。」アイリスはそっと受け取った。

その次の日から、アイリスの特訓が始まった。言葉遣いから始まり、立ち上がり方、歩き方、階段の上り方、馬車の乗り方、そして、食べ方などありとあらゆる事を直された。

一応、アイリスの父親は貴族であった事もあり、基本的な動作はしっかりと身に付いているのだが、村での生活の中で、幾つか悪い癖が付いてしまっているらしい。アイリスはビシバシと夫人から指導を受けながら、なんだか自分というものが無くなってしまいそうだと漠然と感じていた。

レッスンの中で、アイリスが一番手こずっているのは、ダンスだった。村では、みんなでワイワイがやがやとした踊りしかなかった。ワルツなんて高尚なダンスを踊る事なんて、絶対に有り得ない。それに、ダンスに参加出来るのは年頃の若者だけで、アイリスはようやく今年の秋祭りに踊れるはずだったのだ。亡き父からも、さすがにダンスの手解きまではされていなかったので、ダンスだけは最初から始めなくてはならなかった。

毎回、ダンスの練習の時はローヤルが相手役をしてくれるのだが、それも厄介だった。最近、ローヤルとどう接すればいいのか、少しわからなくなっているのだ。なぜか、ローヤルが間近にいると、弾みで頬にキスをしてしまった時の事がありありと思い浮かぶのだ。

特訓が始まってから一ヶ月経ったある日、夫人が唐突に言った。

「アイリス、来週に舞踏会を開きます。あなたのダンスやマナーがちゃんと完成したか見るためですからね。」

夫人の言葉を聞いて、アイリスは呆然とした。

―舞踏会・・・。―

アイリスは確かに、この一ヶ月でメキメキと上流階級のマナーを身に付けたが、まだ人前に出られるほどでは無いと思っていた。それが、来週、いきなり舞踏会デビューだ。まだ、心の準備が全然整っていない。

―どうしよう・・・。ローヤル相手だって、足を踏んじゃう私が、いきなり他の人と踊って上手くいくわけないし・・・。スカート踏んずけて、こけちゃったりしたら・・・。―

アイリスは頭を抱えて、溜息を吐いた。

  

  

 

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日記にて、ローヤルを紹介中!

Photo by Four seasons

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