第九章

 

 

 

次の日から一週間、アイリスは神学校へ入学する準備で忙しかった。

綺麗なレースのついた下着や靴下を用意し、アイリスが田舎にいた頃の晴れ着よりも遥かに豪華なネグリジェを何着も用意した。ネグリジェは白以外にも水色やピンクがあった。レースの白い手袋も用意した。制服は、紺色のワンピースで、茶色のブーツを着用する規則だ。アイリスはその他に普段着用のワンピースや、舞踏会用のドレスも大量に用意した。プライベートの服は、全部セーラーカラーだった。

祖父も祖母もアイリスが神学校に入学する事を認めてくれたらしく、色々なものを一緒に用意してくれた。実は祖母は、最初から認めていたらしかった。この夏中、ずっとアイリスの為に走り回っていたそうだ。だが、意地を張ってしまい、なかなか言い出せなかったのだ。そんな祖母に、アイリスは思わず泣きながら抱きついてしまった。

アイリスは少しでも暇を見つけると、教科書を読んで予習した。なんとかついていけそうな内容なので、安心した。

一週間はあっという間に過ぎ、入学前日になった。

「アイリス、母上が呼んでる。」一週間ぶりにローヤルがアイリスの部屋にやって来て、告げた。

―何かしら・・・。―

アイリスは頭を傾げながら、ローヤルと一緒にテラスへ向かった。

「あの、お呼びでしょうか?」アイリスは入ると、すぐに尋ねた。

「ええ。学校では貴族は全員、各々自分の侍女か小姓を一人、連れて行かなくてはいけないのよ。それで、アイリスとローヤルティーの侍女と小姓を決めました。さあ、二人とも出てきなさい。」

チャイドナリー夫人の声と共に、入ってきた二人を見て、アイリスとローヤルは仰天した。相手は、なんとアマンダとロバートだったのだ。

「よろしくお願いします。アイリスお嬢様。」アマンダは深々とお辞儀をする。

「ちょっと、やめて!どういう事?」アイリスは混乱して、声を荒げる。

「アイリス。わたくしが、あなたとローヤルティーのために、この前の舞踏会の時にお二人に頼んだのです。これであなたは学校へ行っても寂しい思いをしないはずです。人がいる前では、侍女と令嬢の関係でいてもらいますが、二人の時は友人としてお互いを元気づける事ができるでしょう。」チャイドナリー夫人は優しく微笑んで言う。

「でも・・・。」アイリスは言い渋る。

「依存は無いはずです。もう、この話は終わりにしたいのですが。」夫人は少々声を尖らせた。

「ごめんなさい。」少し、ションボリしてアイリスは答えた。

「もう良いのです。では、部屋に帰って明日の準備をいたしなさい。王宮で舞踏会のある時以外は、休暇の時しかここにも戻れないでしょう。心を引き締めて、気を付けるのですよ。人を見極めなさい。ここを出たら、誰が敵で、誰が見方かわからなくなるでしょう。貴族とはそういうものです。よいですか。」チャイドナリー夫人は鋭い目で、アイリスをじっと見て言う。

アイリスはその目を真っ直ぐ見つめて、頷いた。

その晩、アイリスがランプの灯を頼りに教科書を読んでいると、ベランダの窓から何か物音がした。誰かが窓を叩いているようだ。

不審に思ったアイリスが、恐る恐る近づくと、ローヤルがいた。月の光を浴びて、ローヤルの砂金色の髪が輝く。

「まあ、ローヤル。こんな夜遅くにどうしたの?なんで、廊下から来ないのよ。」アイリスは驚きの声を上げる。

「しっ、静かに!神学校に行く前に、どうしても君に話しておかなきゃいけない事があるのさ。この国の、宗教の事でね。」ローヤルはアイリスの許可無く部屋に入ると、窓を完全に施錠して小声で言う。

「宗教?なんで、そんな当たり前のこと話すのに、泥棒よろしく小声で鍵まで閉めて話さなきゃいけないのよ。」アイリスは眉を上げる。「宗教の事なら、ちゃんと知ってるわよ。この世界をお創りになった創造主オブラ様を信奉する一神教でしょ。私、神の書は隅から隅まで読んでるのよ。」

「それは違うよ。君の一側面的な見方だ。」ローヤルは落ち着いた声でアイリスの話を否定する。「世界はそんなに単純じゃないんだ。宮廷では二グループ、あるんだ。君の言う、創造主オブラを神とするグループと、創造と破壊の神、ロトを信奉するグループがね。王国の宗教は、その時々の国王が信仰するものとなる。そして、時の王が採用した宗教の一派が、宮廷でも権力を握るんだ。現国王陛下は、神オブラを信奉しているけど、陛下の叔父君である前国王はロトを信奉していた。君のお父上はね、オブラの信者だったんだ。だから、君はオブラの『神の書』しか知らないんだ。エレスの名前自体、禁忌だから、君は聞いた事も無かっただろう?特に、君のお父上が、父が言うとおりの人物だったのなら、エレスの名を口にするのも嫌だったと思うよ。それほど、オブラを篤く信仰していた高潔な人物だったらしいから。」

「それじゃあ、お父さんはどうして追放されたの?陛下と同じ、オブラを信奉してたんでしょ?」

「現国王と一緒のね。前国王は、ロトの信者だったって言っただろ。君のお父上は前国王の時代に、本殿の司祭の職に就いていたヘレという人物が、君の父上を追放したんだ。プリースト様から聞いたんだけど、前国王の時代、オブラは異端でね、プリースト様はロトの中の創造の神殿で神官をやっていたそうなんだ。ロトの信者は暴力的でね、オブラの名を口にするだけで処刑だったんだ。恐怖で宮廷を掌握したのさ。そんな中、司祭様は地下に潜って密かにオブラを信仰していたんだって。そんな時に、司祭様は現国王陛下の教育係に抜擢されたんだ。国王は、人々を平気で殺す自分の叔父に嫌悪感を抱いていてね、こっそりプリースト様が教えた神オブラを、影でずっと信仰していたんだ。プリースト様の地下の神殿に、陛下はこっそり通うようになり、そんな時に僕の父と君のお父上は陛下にお会いしてね。三人はすぐに仲良くなったんだって。でも、君の父上だけオブラの信者だとばれて、都を追放されてしまったんだ・・・。」

「どうして?」

「それは・・・君の父上があまりに真っ直ぐで高潔な人間だったから・・・だと思う。チャイドナリー家は、元々は信仰深い家ではないんだ。オブラの信者になったのは、祖父の代の時なんだ。それまではどちらでもいいって、中立の立場を取っていたからね。だから、前国王とヘレによる恐怖政治の時代も、国の検査なんて無かったんだ。でも、君のお父上の家は、昔からオブラに仕えていて、オブラの時代、司祭を出した位の家柄だったんだ。だから、ヘレが直々に君のお父上の家を検査しに来たらしいんだ。その時に、あろう事か、君のお父上はヘレの目の前でロトの『神の書』を暖炉に投げ捨てて燃やし、オブラの『神の書』を掲げて見せたらしい。そんな挑発的な態度を取ったものだから、ヘレは非常に怒ってね、君のお父上を処刑しようとしたらしいんだけど、君のお父上は古くから続く大貴族。さすがに、ヘレも殺せない。前国王もノウドゥリー卿の処刑には、反対の意を唱えたんだ。それで、ヘレは君のお父上を追放する事にしたんだ。」

「・・・そうだったの・・・。」アイリスは小さく呟く。「ねえ・・・このメダルはどちらの神が私たちに授けてくださったの・・・?」アイリスは懐からメダルを取り出して聞く。メダルはランプの光が反射し、鈍い光を発していた。

「それがわかれば、国が二つの神の間で踊らされたりしないんだろうけど・・・ね・・・。僕は・・・オブラ様が僕に授けて下さったんだと信じてるよ。でも、ヘレも神のメダルを持っていたと言うからね・・・。どちらが授けたのか、未だに良くわからないんだ。一番可能性が高いのは、どちらの神も、このメダルを自分の使徒と選んだ者に授けてるって線だね。」ローヤルは自分のメダルを取り出しながら言う。

「・・・そっか・・・。・・・私も・・・オブラ様が私を選んで下さったのなら、嬉しいわ。」アイリスはメダルをそっと撫でながら言った。

「そうだね。で、本題だ。いいかい?ロトは今、禁じられているけれど、陛下や僕の父がロトの時代、影でオブラを信仰していたように、今もロトの信者は水面下に沢山いる筈だ。前国王は、現国王陛下の叔父上だと言ったよね?それはね、陛下のご両親は、陛下がご幼少の頃に事故で亡くなってしまったからなんだ。まだ、陛下は赤子だったから、陛下のお父君の弟であった前国王が即位したんだ。陛下を自分の後、王位に継がせると明文化した後にね。そして、即位して一ヵ月後にロトを国教にすると宣言した。それまでは、オブラの信者のようなフリをしていたらしい。そんな時、こんな噂が流れたそうだよ。国王夫妻を、この弟が殺したのだ。ってね。ロトの信者は、裏工作が得意だ。オブラの信者のようなフリをするのもね。だから、学校に行ってからは、周囲に注意して欲しい。オブラの信者だと思っていたら、ロトの信者で、影で集団リンチに遭うなんて事は、よくあるんだよ。だから、誰も信用しちゃダメだよ。初対面の人とは、必ず少し距離を置いてね。」ローヤルは真剣な表情で言う。

―ああ・・・。チャイドナリー夫人は、きっとこの事を遠まわしにおっしゃったのね・・・。―

アイリスはローヤルの鳶色の瞳を見つめながら、ぼんやりと思う。

「わかったわ。」

アイリスは真っ直ぐにローヤルを見つめて言った。

  

    

 

 

 

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第二節はこれで終わりです。次は舞台を移し、神学校。第三節です。

15歳のアイリスについて日記にて語ってます!

Photo by Four seasons

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