第九章
「王妃様。その事で話があります。」
ローヤルは静かに口を開いた。
王妃はアイリスを解放し、ローヤルの方に顔を向ける。
「・・・何ですか、ローヤルティー・・・。そう言えば、コアケッドはどうしたのです?ここにいるのですか?」
「いいえ。コアケッド様は、『エレス』の手に落ちました。」
ローヤルは淡々と言う。それを聞いて、王妃は真っ青になった。
「どうして・・・。どうして、あの子が・・・?」
「恐らく、『エレス』の信者に、弱さをつけこまれたのでしょう。」
「・・・わたくしのせいだと、言いたそうね、ローヤルティー。わたくしが、あの子に構わなかったからだと・・・。アイリスの事ばかり心配し、目の前にいる娘には無関心だったからと・・・。・・・罰が当たったのだわ。」
王妃は顔を埋めて泣いた。
「でも・・・仕方が無かったのです。目の前にいるコアケッドの顔は見えないのに、遠くに行ってしまったアイリスが元気に走り回る姿は、わたくしにはハッキリ見えたのですから・・・。神が、わたくしにお与え下さったこの瞳が・・・アイリスの姿を映し出す瞳が、あの子に辛い思いをさせてしまったのです。」
王妃は右瞼を強く押えて言った。
「止めて!お母さま。私と、お母さまでコアケッドを止めに行きましょう。コアケッドは、お母さまに抱き締めて欲しいのよ。」
アイリスは王妃の手を取ると、力強く言う。
「ローヤル。あなた、コアケッドの居場所、わかる?」
「・・・ああ、目星ならついてる。」
それだけ言うと、ローヤルは出てきた隠し扉に戻っていく。アイリスも、王妃の腕を強く握り、歩き出した。
ローヤルが用意した馬車に三人が乗り込むと、王妃は口を開いた。
「あなたは、わやくしがどうしてあなたを手放したか、知りたいでしょうね?」
王妃は悲しそうに微笑むと、十六年前の辛い思い出を語り出した。
満月の綺麗な夜に、王妃は司祭の妹である大巫女シャーに見守られながら、コアケッドとアイリスを出産した。
初産だったが、安産で、母子共に健康と、全て順調に思えたが、すぐに異変が起こった。赤みがかった金髪だった妹姫の髪が、見る見る内に人参のような真っ赤な色に変わったのだ。それを目の当たりにしたシャーは、赤子の父親である国王を呼ぶ前に、兄であるプリーストを呼びに部屋を飛び出した。
シャーは夫を呼びに行ったのだろうと思っていた王妃は、プリーストが入ってきたので驚いた。
「まあ、司祭様。眉間に皺など寄せて、どうなさったのです?」
「シャー、こちらの王女様か?」
プリーストは王妃の言葉を無視し、赤毛の赤ん坊を抱き上げる。
「そうです、兄様。」
シャーは恐々と赤子を見つめて頷いた。
「司祭様!わたくしの娘に勝手に触れないで下さい!!」
王妃は本能的に察知すると、ヒステリックに叫ぶ。理性的で物静かな王妃らしからぬ行為だった。
「王妃様・・・わたくしは見たのです。妹姫様の髪が、陛下と同じ赤みがかった金髪から、赤毛に変わる様を・・・。」
「それが・・・どうしたと言うのよ。」
王妃はシャーの言葉を聞き目を見開くが、気丈にも落ち着いた声音で聞く。
「王妃様・・・このお方は、神に愛された御子やもしれませぬ。王妃様にもお話したでしょう?シャーの占いで、神々の乱立を正す娘が生まれると出たと。女児ですし、髪の色も変化した・・・間違いないと思います。」
プリーストは言う。
「・・・そなた・・・最初からわたくしの腹の子が、シャーの占いに出た子だと思っていたのでしょう。」
王妃は苦々しげに言う。プリーストの事は信頼していたが、あまりにも酷すぎると思った。きっと、プリーストは、生まれたばかりの娘を取り上げるのだろう。
「はい。まさか、双子だとは思いませんでしたが・・・。神に愛される御子は、恐らく王族であろうと思っていました。双子で何よりです。これで、計画を実行に移せます。」
プリーストはニッコリと笑って言う。
「わたくしから・・・この子を取り上げようと言うのね。」
恨みがましく王妃は言う。
「王国の為です。お許し下さい。王妃様、お名前を。」
プリーストが赤子を差し出して言うと、王妃はゆっくりと起き上がり、赤子を強く抱き締めた。
「私の愛する娘・・・。神に愛されてしまった娘・・・。そなたが強く生きていけるよう、母はいつまでも祈っています。そなたの優しい心と、真っ直ぐの意志が、闇を貫き、世界に光を照らすよう・・・。貴女の名は、『アイリス』・・・虹です。この混沌とした世界に、七色の光を与えて・・・。」王妃は赤ん坊の耳元で、囁くように言う。王妃の瞳から、一筋の涙が零れ、赤ん坊の柔らかい頬に落ちた。
「良い名ですな。」
プリーストは満足そうに微笑むと、シャーが大事そうに持っている小箱を受け取り、中からメダルを取り出した。王妃はそれを受け取ると、赤ん坊と共にプリーストが用意したバスケットに入れる。赤ん坊はスヤスヤと眠っていた。
「この子を・・・どうするつもりですか?」
王妃は愛しい赤子を見つめて聞く。
「ノウドゥリー卿に預けようと思います。私が一番信頼する男ですからな。」
「それは・・・少しだけ安心です。では、アイリスを頼みますよ。」王妃は涙を堪えて言うと、何も知らずに眠り続ける幼子に別れのキスをしたのだった。
生まれたばかりの娘と別れた三日後、王妃は不思議な夢を見る。それは、見覚えのあるバスケットが川を下っていく夢だった。
川の流れに乗ったバスケットが、鬱蒼と茂った森に入って暫く経った時、若い娘が川岸で水を汲んでいるのが見えた。娘は、川を流れるバスケットに気がつき、驚いた顔をして服が濡れるのも構わないで、川の中に入っていった。
「まあ、赤ちゃんが入ってるわ!」
娘の驚いた声が響き、王妃は夢から覚めた。
―あれは・・・アイリスを入れたバスケット・・・。―
「アイリス・・・。」
王妃は別れた娘を思い、ギュッと目を瞑る。と、その時、冷たい空気が王妃の頬を撫でる。
ハッとして顔を上げると、黒い人影が窓際に立っていた。
「なっ、何者です!!」
王妃は隣でスヤスヤと眠っているコアケッドを抱き締めて、聞く。
「その赤子を渡してもらおうか、王妃様。大人しく渡せば、怪我しないで済むぜ。」
男はくぐもった声で言う。
「わっ、渡すものですか!この子だけは、わたくしの手で育てると決めたのです。」
王妃はコアケッドを抱く力を強くして言う。
「それじゃあ、仕方ないな。」
男は溜息混じりに言うと、刃物を取り出す。月光に当たり、キラリと光った。
王妃はコアケッドを抱き締めて、部屋を逃げ惑う。しかし、王妃はすぐに男に捕まえられた。赤ん坊に手を伸ばす男を、王妃は我武者羅に引っ掻く。
男の舌打ちが耳に響く。何かが光ったと思った瞬間、左目に激痛が走った。次の瞬間、コアケッドが火をつけたように泣き出す。
「クソッ。」
男はそれだけ残し、去って行った。
そして、王妃は光を失ったのだった。
Photo by Four seasons