第五章

 

 

 

アイリスは自分に宛がわれた部屋に戻ると、大きく息を吸う。顔が、真っ赤だった。

―私・・・なんて事、したんだろ!!物の弾みとはいえ、ローヤルにキ・・・キスしたなんて・・・!!―

アイリスはベッドに身を投げ出す。泣きたかった。

―あー!!もう、わけわかんないことだらけなのに!!―

自分の愚かさを呪うように、アイリスは思いっきり枕を殴る。

―・・・ローヤルが貴族・・・?・・・お父さんが貴族・・・?・・・私は一体誰なの・・・?―

アイリスは悶々と考えていたが、いつの間にか眠りに落ちていた。

アイリスは、朝日のあまりの眩しさに目を覚ました。昨日、アイリスはローヤルの所に行った帰りに、カーテンを少しだけ閉め忘れたようだ。ほんの少しだけ、窓も開いていた。

「忘れるのよ、昨日の事は・・・。」

アイリスはポツリと呟くと、ベッドから降り、窓に近付いた。

カーテンを開け、窓を開け放つ。城から見た都の姿は美しかった。街の人々が起き出し、徐々に活動し始める都を眺めながら、アイリスは溜め息をつく。

―ローヤルに会いたくないわ。どんな顔して、会えばいいの?―

その時、アイリスは机の上に、一輪の野花が乗っているのに気がつく。

―誰が、置いてくれたのかしら・・・?メアリ・・・?―

アイリスは首を傾げながら、小さな花を撫でる。

―悩むなんて、私らしくないわね。―

クスリと笑うと、アイリスは着替え始めた。

タンスの中は、アイリスが今まで見た事ないほど豪華な服がズラッと並んでいた。アイリスのよそ行きの服は、寝巻きよりも粗末な代物に見えた。アイリスは溜め息を吐く。

この世界は、アイリスが今まで属してきた世界と、あまりにも違いすぎる。

アイリスはシルクのブラウスと深い緑のロングスカートを手に取った。一番、まともそうだったからだ。

アイリスはお下げにしてみたが、それはあまりにも滑稽で、この豪勢な服とは似合わなかった。

その時、ノックと共に、メアリが入ってきた。

「おはようございます、アイリス様。まあ、もうお召し終わったのですか?」メアリは怪訝そうに眉を顰める。

「アイリス様。これからは私が参るまでお待ち下さいませ。・・・アイリス様、その髪型はあまりよろしくないと思いますわ。私が直してもよろしいですか?」

「・・・いいわよ。ねえ、メアリ。あなたがこの可愛い花を置いたの?」

アイリスは目の前にある、黄色い小さな花を指して聞く。

「いいえ。そんな花、私は存じませんわ。お捨てしましょうか?」

「・・・この花、頭に挿してもいいかしら?」

「・・・かしこまりました。」メアリはじっとアイリスを見つめて言った。その顔はよくないと言っているようだったが、アイリスはそれを無視した。

メアリは、アイリスの髪を丹念に梳いていく。そして、見た事もない、薬品を使い、アイリスのはね毛を直していった。一時間後には、アイリスのはねまくっていた髪は、綺麗な巻き毛になっていた。メアリは髪の一部を、スカートと同じ色のリボンで結び、そこに野花を挿してくれた。鏡に映るアイリスは、まるで別人だった。

 そこへ、ノックと共に、コアケッド王女が入ってきた。

「おはよう、アイリス。よく眠れた?」

「おはようございます、コアケッド王女・・・じゃなかった、コアケッド。お陰さまでよく眠れたわ。」

少し顔を赤らめてアイリスは言う。

「フフ。その調子よ、アイリス。」コアケッド王女は可笑しそうに言うと、少しだけ眉を顰める。「アイリス、もっと素敵なドレスを着ればいいのに・・・。それは、あまりに地味過ぎない?」

「私、これで十分ですわ。」

「アイリス、下へ降りましょう。」

コアケッド王女は、アイリスの手を取ってニッコリと笑う。アイリスも、つられて微笑み返した。

一階下にいたローヤルは、女の子達の話し声を聞きつけると、部屋を出た。そして、目を見張った。手を取り合って階段を降りる二人の少女の後姿が、髪の色以外、そっくりなのだ。

アイリスの髪は、鈍く光る赤茶色だったが、コアケッド王女の髪は輝く黄金色の巻き毛だった。二人の違いは、これだけだ。二人の背はまったく同じで、腰の細さも同じだった。

―確かに二人は似るだろうと思ったけど・・・ここまで似るだなんて・・・。―

ローヤルは軽く頭を押さえた。

そして自嘲的な笑みを浮かべる。

―俺も・・・信じて無かったってワケか・・・。父上に聞いた事が真実だとは・・・。―

これ以上、変わらないで。アイリスは、アイリスのままでいて欲しい。

からかったローヤルに対し、真剣に怒った、あの時のアイリスのままでいて欲しい。

でも、きっと、それはもう叶わぬ願い・・・なのだろう。

歯車は動き出した。

もうすぐ、新しい時代が始まる。

その時、ローヤルはきっと、アイリスの隣にいる事は許されないだろう。

コアケッド王女と共に、アイリスとローヤルが朝食を取っていると、王女の侍女が王女に近付き何事かを告げた。その途端、王女の眉尻が少しだけ下がる。

「あの・・・どうかなさいました?」

アイリスはフォークを置いて、コアケッド王女に尋ねる。

「・・・ローヤルティー、あなたのお母様がここにいらしたみたいよ。あなたとアイリスを引き取りに来たんですって。」

コアケッド王女は面白く無さそうに言う。

「あなただけお家にお帰りになって、アイリスはここにいなさいよ。」

「あの・・・王女さま・・・。」アイリスは困って言う。

「コアケッドでいいって言ってるでしょ?」少し寂しそうな表情でコアケッド王女は言う。

「・・・コアケッド、我が侭はお止め下さい。アイリスさえよければ、母の意向に沿いますよ、俺は。」

「いいでしょう?少しくらい我が侭を言ってみても。どうせ、無理だとわかってるわ。誰も、わたくしの事を必要以上に必要にしてはくれないのよ。わたくしはただの、王女という人形なのだわ。国を機能させるためには必要だけれども、本当は誰もわたくしの事を必要にはしてないのよ。」

コアケッド王女は溜め息と共に言う。

「・・・王女さまにはご両親がいらっしゃるじゃないですか・・・。」アイリスはポツリと言う。「私はそれだけで十分だと思います。」

「・・・お父様もお母様も、わたくしを必要以上に愛してくださらないのに、あなたは十分だと言うのね?わたくしは、あなたの方が羨ましいわ。あなたは、誰からも必要にされてるじゃない。」

「あの・・・何を仰っているのか・・・。」

「・・・わたくし、知っているの。あなたがジェイコブ・ノウドゥリーの一人娘だって。お父様の親友だった人の忘れ形見だって、知ってるのよ。」

「コアケッド!!」

ローヤルは鋭い声を上げる。

「いいじゃない、話したって。どうせ、アイリスはいずれ、知る事になるのよ。そんな恐ろしい顔でわたくしを睨まないで頂戴!!ほら、わからない?アイリス・・・。ローヤルティーは幼馴染であるわたくしより、あなたの方が大事なのよ。それに、お父様だって、わたくしなんかより、あなたの方が関心があるのよ。あの、いつも夢の中を彷徨っているお母様だって、あなたに関心をお持ちになったわ。どうして・・・どうして、誰もわたくしの事を必要としてくれないの?」

コアケッドは顔を埋める。

「コアケッド様、泣かないで下さい。両陛下の事は、私にはわかりかねませんが・・・私、絶対あなたの元に戻ってきますから。今は、一度・・・この綺麗なお城から出して頂けませんか?祖父母に話さなければならない事がありますし、それに私・・・都で暮らす事になれば、都のマナーを学ばなければなりませんわ。私、王女さまには笑って送り出して欲しいです。だって、ほら・・・新学期が始まったら、私と王女さまはクラスメイトなんでしょう?それまでに、しっかりマナーを叩き込んで来ますわ。そして、私たちはお友達になるんです。なかなかいい響きでしょ?王女さまは、私にとってきっと必要な存在になると思います。だから・・・それまで待って下さいませんか?」

アイリスはそっと王女に近付くと、優しく背を撫でて言う。

「・・・アイリス・・・あなた、優しいのね。」

「ありがとうございます。で、一度退城してもよろしいでしょうか。」

「・・・いいわ。わたくし、アイリスのこと、待ってるわ。戻ってきたら、わたくしとお友達になって頂戴ね。」

「ええ。」

アイリスはニコリと笑う。

すると、コアケッドもつられて笑顔になった。

二人の笑顔は、笑窪の場所までそっくり同じだった。

ただ違うのは、瞳と髪の色だけ・・・。それが、二人の決定的な違いだった。

―まだ・・・この事実に気付いているのは、極僅かだが・・・アイリスが都に住まう事が陛下によってほぼ確定した今・・・マズイ連中にまで気付かれるのは、時間の問題・・・だな・・・。―

ローヤルは眉間に皺を刻みつけた。

 

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Photo by Four seasons 

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