第十一章

 

 

 

王妃の言葉に、コアケッドの瞳は憎しみで燃え、王妃を突き飛ばすと胸を押えて苦しみだす。遠くからそれを見ていたアイリスとローヤルは、周りの空気が変わったことに気が付いた。
「ローヤル・・・。何が起こってるのかしら?」
アイリスは戸惑いながら聞く。すると、ローヤルは焦った様子で答えた。
「まずいな・・・。多分、エレスの力が、増してるんだと思う。コアケッドは『神のメダル』を首にかけてるみたいだ。あれは、エレスやオブラ様を宿す力があるからな・・・。エレスがコアケッドに宿ったら、かなりやばいぞ。」
「宿る・・・?コアケッドの身体にって事よね?それって、コアケッドにどれくらい負荷がかかるの?大丈夫?」
「わからない・・・。でも、あれだけ苦しんでるって事は、かなり危ないんじゃないかな。」
「どうしよう・・・。早く止めなくちゃ・・・。何か方法は無いの?」
「・・・可能性としては一つしか思いつかないな・・・。さっき、君はエレスのナイフの刃を消失させただろ?だったら、君の矢は、エレスに効くかもしれない。」
ローヤルは考えながら言う。
「でも・・・それじゃあ、コアケッドにも当たるって事でしょ?そうしたら、彼女の身体を傷つける事になるんじゃない?」
「それは無いと思うよ。君がコアケッドを傷つけたいと思わない限り。さっきも、君の矢はコアケッドを傷つけなかっただろ。」
「傷つけたいなんて思うわけ無いでしょ。・・・そうね、方法がそれしかないなら、やるしか無いわね。」
アイリスは小さく息を吸うと、弓を構える。コアケッドの周りは、黒い靄に包まれよく見えないが、アイリスは一番闇の濃い所に焦点を合わせた。

     

―コアケッドを返して!!―

       

アイリスはグッと願うと、矢を放つ。七色の光を帯びた矢は、淀んだ空気を切り払い、コアケッドの心臓部分に突き刺さった。
コアケッドのおぞましい笑い声がピタリと止まる。次の瞬間、黒々とした影がコアケッドの胸元から出てくる。

     

―あれが・・・エレス・・・。―
アイリスは再び弓を構えると、今度はコアケッドの胸元すれすれを狙って矢を放つ。アイリスの放った神の矢は、狙い違わずに当たり、コアケッドにしがみ付いていた黒い影を完全に切り離した。
王女からエレスが切り離されたのを見ると、アレンは王妃から手を離し、エレスの前に飛び出した。
「エレス様!わたしの身体を差し上げます!!」
アレンは身体を張って、高らかに叫ぶ。すると、エレスの黒い塊が、アレンの胸に飛び込んだ。
アレンは、恍惚な笑みを浮べる。が、その表情はすぐに消え、苦しみだした。
「このような・・・軟弱な命では、足りぬ・・・。もっと命を捧げるのだ。血だ!血を寄越せ!!」
アレンの口を借りて、エレスの禍々しい声が、地下神殿内に響く。その間も、アレンは苦しそうに、自分の胸を掻き毟っている。アレンの身体は、見る見るうちに干からびていった。
その有り得ない光景に、ローヤルは思わず顔を背けた。その時、アイリスが隣で呟く。
「あのようなものに、自分の命を差し出すとは・・・愚かな人間の子よ・・・。」
驚いて顔を上げると、再び、弓矢を構えるアイリスの姿が映る。アイリスの髪は、肖像画で見たことがある、若かりし頃の国王と同じ髪色をしていた。
エレスは、息絶えたアレンの身体から抜け出し、新たな生贄を探している。それを見て、アイリスは叫んだ。
「愚かなる悪魔よ・・・。神になろうと思うなど、百年早いという事だ!」
アイリスは矢を放つ。アイリスの髪と同じ、赤みがかった金色の矢は、エレスに命中する。すると、その禍々しい黒い塊は、七色の光を放って、消えていった。
それを見届けると、アイリスは弓を放り投げて走り出す。
「コアケッド!コアケッド!!」
アイリスは姉の名を大声で呼び続けながら、倒れたままのコアケッドの元へと急ぐ。アイリスが駆けつけたとき、コアケッドは王妃の膝の上で眠っていた。蒼白い顔が、アイリスの不安を煽る。
「コアケッドは・・・。」
「もう一度、呼んであげて。優しく、そっと。」
王妃は優しい笑みを浮べて言う。
アイリスは唾を飲み込むと、祈るように呼びかけた。
「コアケッド・・・。」
すると、コアケッドの瞼がピクリと動く。一時して、鮮やかな青い瞳が姿を現した。
コアケッドは、決まり悪そうにアイリスから視線を逸らす。
「・・・わたくし、酷い事、したのよ・・・。あなた、わたくしが憎くないの?」
コアケッドはポツリと呟く。それを聞いて、アイリスはキョトンとした。
「えっ、どうして?コアケッドの事、憎むわけないわ。だって、あなたは私のたった一人のお姉ちゃんなのに・・・。」
「わたくしは、あなたの親友を殺すつもりだったのよ。お母様だって、殺そうと思ったわ。王国にとって悪でしかないものを復活させる手助けだってしちゃったわ。なのに、わたくしを嫌わないって言うの?」
「嫌わないわ。大好きだよ、コアケッド。」
アイリスはニッコリと微笑んで言う。
「・・・あなた、不思議な髪をしてるのね。若かった頃のお父様そっくりの髪・・・。やっぱり、あなたはわたくしの双子の妹のようね。」
小さく笑って、コアケッドは言う。その言葉に、アイリスは初めて自分の髪が、赤みがかった金髪に変化している事に気がついた。
「あれ・・・?私の髪・・・。」
「その色が、あなた本来の色です、アイリス。あなたは、あなたの役目を果たしたという事・・・。もう、王家に戻ってきていい頃合です。」
王妃は優しい微笑を浮べて言う。
「えっ・・・?この色が・・・?」
「アイリス、わたくしも戻ってきて欲しいわ。そして、あなたには王位を継いで欲しい。エレスを復活させようとしてしまったわたくしには、王位を継ぐ事なんて出来ないわ。」
「・・・コアケッド、何言ってるの?私は・・・そんなの無理よ。」
アイリスはコアケッドの顔を見て、ハッキリと言う。
「この中に・・・私の場所は無いのよ、コアケッド。私は村娘のアイリス。畑を耕す手伝いをして、種を蒔いて、糸を紡いで、野菜や果物を採る手伝いをして・・・そうやって生きてきたの。これからもそうやって生きていきたい・・・。王妃様がお母さんで、コアケッドが私のお姉ちゃんだって事は本当だと思う。会えてうれしいわ。でも、できる事ならアイリス・ノウドゥリーとして、育った村でこれからも暮らしたい・・・。おばあちゃんとおじいちゃんと一緒にね。」
アイリスはコアケッドと王妃の顔を見て言う。

              

ここ数ヶ月、ずっと思っていたことだ。
都での生活は新鮮だったが、自分にはあまり馴染まないと思った。
柔らかい土は石で舗装され、女の子も男の子も煌びやかに着飾って、一緒に遊ぶことも許されない世界。
木に登ることも、川で遊ぶことも許されず、許されていることは踊ること・・・。
ニコニコと笑って話したり、踊ったりしながら、裏では互いの腹を探り合う世界・・・。
アイリスのいた世界とはあまりに違いすぎた。

               

「そんな・・・。」
コアケッドは悲しみに顔を歪ませる。その時、地下神殿の扉が開く。

                  

「やはり、アイリス様はそうおっしゃいますか。」
聞き覚えのある声に振り返ると、ローヤルの父親が立っている。
その隣には、驚いた表情の国王がいた。
「チャイドナリー卿の言った事は本当とみえるな。アイリスは私の娘のようだ。その髪、その目・・・私と王妃のものだ。なぜ、チャイドナリー卿に言われるまで、気が付かなかったのだろうな。」
国王は悔しそうに言うと、今度はコアケッドを見る。
「私はそなたへの接し方を間違っていたようだ・・・。そなたが可愛くて、可愛くて・・・何でも言う事を聞いてあげていたが、そなたは私たちに叱ってほしかったのだな。コアケッド・・・寂しい思いをさせて、済まなかった・・・。」
「お父様・・・そう仰るなら、アイリスを王宮に留めて下さい。本来、アイリスが属する世界はここなんです!」
コアケッドは目から涙を零しながら言う。が、国王はゆっくりと首を振った。
「コアケッド、それはアイリスが決める事だ。アイリスが都を出たいと言うのなら、彼女の意思を尊重すべきだろう。コアケッド、そなたは人との接し方を学ばねばならないよ。だが、アイリス・・・せっかく見つけた家族を手放すのは、私も王妃もコアケッドも辛く悲しいのだよ。だから、夏と冬、二ヶ月ずつ都に来てはどうかね?」
国王は優しく言う。その提案が、アイリスには嬉しかった。
「陛下・・・村に帰りたいという私の我侭、聞いてくれるんですか?」
「ああ。そうしろと、チャイドナリー卿に言われたからな。だから、私の我侭を聞いておくれ。これからは私の事は父と、王妃のことは母と呼んで欲しいのだ、我が娘。」
「はい、お父様。ありがとうございます。それから、チャイドナリー卿も。」
アイリスはニッコリ笑って言う。
「アイリス様には村のほうが似合うと思ったのですよ。でも、あなた一人を村に戻すのは危険ですからね、うちの愚息をつけましょう。こき使って構いませんよ。」
チャイドナリー卿もニッコリ笑って言った。

              

                

「それじゃあ、行って来ます。」
アイリスは、コアケッドの目から見たら随分みすぼらしいドレスに身を包んで言う。彼女の両隣には育ててくれたフウローリー夫妻が立っている。ローヤルは既に御者台に座っていた。
「行ってらっしゃい、アイリス。年末には戻って来て頂戴ね。あなたの為に綺麗なドレスを取り寄せて待ってるわ。」
コアケッドは目に涙を浮かべて言う。アイリスは小さく笑うと、コアケッドをギュッと抱きしめた。
「ありがとう、コアケッド。」
「アイリス、あまりチャイドナリー卿の息子に迷惑をかけるでないぞ。」
国王はアイリスの頭を撫でて言う。
「おてんばもほどほどにして下さいね。」
王妃はアイリスの顔をしっかり見て言う。王妃の右目はしっかりと開いていて、アイリスと同じ緑色の瞳が優しげに光っている。
王妃の右目は、事件の次の日に、自然と開いたのだ。もう、遠くに行ってしまうアイリスを映すことは無いが、これで目の前にいるもう一人の娘を映すことが出来る。十六年ぶりに見た娘を、王妃は泣きながら抱きしめたのだった。
「私、そんなにおてんばじゃないわ。」
アイリスが国王と王妃の言葉に少しムッとしていると、急に腕を引かれる。泣き止んだコアケッドがそっとアイリスに耳打ちする。
「ローヤルが来てくれて良かったわね。お幸せに・・・ね?」
コアケッドはニヤッと笑って言う。アイリスは耳まで真っ赤になった。

  

   

Back


Top

   

Photo by Four seasons

inserted by FC2 system