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4.イリンの森 その二
ウィンは馬に飛び乗ると、港に向かった。持っている荷物は、『アレストロの書』とハンから貰ったメダルだけだ。
港には、ちょうどイリン行きの船があった。しかも、イリン国王御用達の船だ。ウィンが近付くと、顔見知りの船長が少し驚いた顔でウィンを見た。
「船長、急ぎイリンに戻りたいの。私も乗ってよろしいかしら?」ウィンが落ち着いた声音で聞けば、船長はとても断わる事は出来なかった。
「我が船はイリン国最速を誇ります。四時間ほどで、祖国にお戻りになれますよ。」船長は探るようにウィンを見てから、商売用の笑みを浮かべていった。
確かに、船長の言ったことは正しかった。日が一番高く上った頃には、船は都から一番近い港に到着していた。ウィンに迎えが来ていないことを心配した船長が用意した馬車に乗って、ウィンは城に向かう。三ヶ月ほど前、フィジーやフィンと他愛無い話をしながら、城へ向かった旅が酷く昔の事のように思える。あれから、随分と変わってしまった。
ウィンが城に到着すると、両親が驚いて出迎えた。
「まあ、ウィンアウト!どうしたのです?」王妃は少し青い顔をして、ウィンを抱きしめた。目が真っ赤だ。
「お母さまこそ、どうしたのです?」ウィンは心配げに聞く。
「何でもありませんよ。ああ、もう一度、あなたを抱きしめる事が出来て、良かった・・・。願わくは、二度とあなたを手放さずに済めばよいのに・・・。」王妃は肩を震わせて言う。
「お母・・・さま・・・?」
「なぜわたくしの子供全員が生贄として、あの恐ろしい魔女に捧げなければならないのでしょう?これも、それも、わたくしが犯してしまった罪のせいだと言うのでしょうか・・・。」王妃は手に顔を埋めてすすり泣く。
ウィンは戸惑った。こんなに情緒不安定な母を見るのは、生まれて初めてだ。困っていると、国王が助け舟を出してくれた。
「王妃は、急な事態についていけないだけだ。ウィンアウト、自室で休むと良い。長い船旅で、疲れておろう。」国王は王妃を抱きとめながら、ウィンに優しく言う。
しかし、ウィンはきっぱりと首を振った。
「いいえ、お父様。私はこれから、アレストロの力を使いこなすための修行をしなくてはいけません。その為に、イリンに戻ってきたのです。お母さま、私が必ずみんなを守りますから。あまりご自分をお責めにならないで下さい。」ウィンははっきりと言う。「これから、イリンの森へ向かいます。森で修行を行うので、多少の食糧と、冬も越せるくらいの温かな服、それから森で一夜を過ごすためのテントと、もちろん火をつけるための火打石を用意して頂けませんか。」
国王はジッと自分の娘を見つめた。彼女の瞳に、迷いはないと判断すると、国王は頷いた。
「わかった。半刻したらそなたの部屋に届けよう。それまでの間だけでも、休んでおきなさい。恐らく、生半可な修行ではないだろうからな。」
「ありがとうございます、お父さま。」ウィンは深々と頭を下げた。
国王が用意した、膝丈までの動きやすいスカートと、厚手のブラウスに着替え、ブーツを履き、マントを纏うと、ウィンは荷物を担ぎ、城を後にした。大きな荷物を担いで、森へと消える末の娘を、王妃は涙に濡れた瞳で見つめていた。
―ごめんなさい、ウィンアウト・・・。弱いわたくしを許して・・・。―
捨てられない指輪がある。昔、婚約者だった少し年上の兄のように想っていた人から貰った指輪。あの人は、あの地獄のような島で、非業の死を遂げた。
あの年に生き残ったのは、王妃と王妃が唯一愛するイリン国国王のただ二人。あとの全員は、全員無残な姿で海に捨てられた。
ヴァンニア魔女の、あの恐ろしい吼え声が、未だ耳にこびり付いて放れない。
「逃げられると思うでないぞ!お前らの子供が、お前らの命の代わりに、妾の前に捧げられるだろう!そしてその時、お前らは思い知るのだ!なぜ、あの時、妾の前にその身を投げ捨てなかったのかと!!お前らがどう足掻こうと、もう運命の歯車は動き始めた!我が島は、一度来てしまえば、二度と再び訪れる事は叶わぬ幻の島!お前らの目の前で、お前らの頭を喰らう所見せてやれるのは、残念な事よのお!!」
―ウィンアウト・・・。頼みはあなただけです。お願いだから、無事に帰ってきて・・・。―
王妃は首から提げていた三日月の首飾りを握り締め、強く祈った。
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