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3.六月八日  その二

 

 

六月八日の朝、王都は太陽の昇る前から忙しく起きていた。

今日は、アレストロ大国で最も大切な日である。アン王女が悪しき魔女から、アレストロ大国を解放した日であった。国中の貴族が、ここイリン国の王都に集まっていた。皆、今日の夕暮れから開催される、大国一の規模を誇る舞踏会に出席するためだ。

そして、今年は婚約適齢期を迎えたウィンアウト王女の誕生日会も、貴族たちの注目の的であった。舞踏会嫌いの王女は、王族主催の舞踏会にも滅多に出席しない。しかし、今日六月八日に開かれる二つの舞踏会には必ず出席しなくてはいけないのだ。だから、年頃の息子や甥のいる家では、早くから起きてどうにかして王女の気を引こうと、ご婦人方が作戦を練っていた。

城の中は、皆不眠で今日開かれる二つの舞踏会の準備をしていた。廊下を磨き、新調したレッドカーペットを敷き、至る所に花を飾った。ダンスフロアのシャンデリアは、埃が払われ、床は顔が映るほど磨きこまれていた。調理場でも、客に振舞われる食べ物の下準備のために、不眠不休で作業されていた。

しかし、ウィンはそのような事に見向きもせず、眠り込んでいた。姉たちが起き出して、準備を始めても、寝坊癖のある兄のトムがやっとベッドから這い出ても、ウィンは眠り続けた。ウィンがようやく起きたのは、乳母であった侍女に叩き起こされた時だった。 

 それから、ウィンは侍女に急き立てられながら、ガーデンパーティーの準備を始めた。欠伸を噛み殺しながら髪を梳かれ、朝食を抜かれた腹がグーグー鳴る中で、コルセットで締め上げられた。 

 「ちょっと、そんなに締めないでよ。食べ物が入らないじゃない。倒れちゃうわ。」ウィンは非難の声を上げが、誰も相手にしなかった。 

 ドタバタ騒ぎから二時間後、ウィンは綺麗に身支度が整っていた。薄いグリーンのガウンの上に、たっぷりとした深緑色のビロードを、襞を付けながら腰に巻き、その上にブルーのリボンを巻いたイリン式のドレスに身を包んでいた。頭には王女の身分を示す冠を抱き、首にはラピスラズリの首飾りをしていた。 

 

 会場は、城に数々ある庭の中で、ローズ・ガーデンが選ばれた。そこには、色とりどりのバラがこの時期、咲き乱れているのだった。ウィンが会場に向かった時、人々は既に庭の外に集まっていた。ウィンの両親であるイリン国王夫婦も既に着席していた。ウィンは、庭に続く大理石の階段のてっぺんに登場した。周りを見回してから、笑顔で挨拶をした。 

 「皆様、わたくしの誕生日のために集まってくださって、有難う御座います。今日は、存分に楽しんで下さいね。」 

 ウィンは、国王が見ていたので、嫌々ながら階段を下りて、芝の上に立った。あっという間に、ウィンにダンスを申し込もうと目論む男性たちに囲まれてしまった。ウィンは自分の周りに集まってきた男たちを見回した。 

 大貴族の次男、三男。大商人の長男。爵位を持っている者も、持っていない者も、家を継ぐ者も、継がない者も、皆見ているものは一つ、ウィンの持っている王族の血。望んでいるものも一つ、ウィンを自分の妻にし、家の位をもっと高くすること。ウィンは溜め息を吐いた。エリックは来ていない様だ。それなら、ここにいる理由は無くなった。 

 ウィンの心は幼い頃から決まっていた。自分の持っている王族の血しか見ないような男とは結婚しない・・・。ここには、そんな男しかいない。 

 ウィンは男たちから離れようと、出口を探した。だんだん円が狭くなってきている。ウィンは心の中では分かっていた。ここは誰かと踊らなければいけない・・・。昔なら、ここはトムと踊ってその場を凌げたが、もう十五歳になり子供では無くなったウィンは、その手を使うことが出来なかった。 

 ウィンがどうしようと思案していると、急に背後から腕を掴まれた。ウィンはビクッとした。 

  ―なんて失礼な男なのかしら・・・。―そう思いながら振り向くと、仮面を被った男がいた。鼻から上は、仮面を被っていた男は、濃紺の上着にそれと同じ半ズボンを着ていた。ウィンが訝しげにその男を見つめると、いつも曇りがちの暗いブルーの瞳があった。 

 「エリック・・・。」ウィンが囁くと、仮面の男は微笑んで頷き、ゆっくりと一礼した。ウィンも笑顔で優雅に礼すると、二人は手を取り、踊りだした。 

 その場に居合わせた者たちは驚いた。あの、ダンス嫌いで有名な、ウィンアウト王女が楽しそうに正体不明の仮面の男と、楽しく踊っているのだ。 

 「まあ、ウィンアウト王女が踊っているわ。なんとお上手なのでしょう。」 

 「あら、本当に。どうして今まで踊らなかったのでしょう?・・・一緒に踊っていらっしゃるのは、どなたでしょう?ご存知?」 

 「いいえ、わたくし知りませんわ。仮面をしていて顔が良く見えないわ。」 

 「きっと、顔を隠さないと王女様に近づけないほど酷い顔なのよ。」 

 好奇心旺盛の貴婦人たちが、蜂のようにブンブンとしゃべる。 

 「ありがとう、エリック。あなたが来てくれて嬉しいわ。」 

 エリックはぎこちなく笑った。仮面が邪魔をして、上手く笑えないようだ。 

 「ねえ、どうして仮面をしているの?」 

 「だって素顔で現れるより、仮面をしている方が面白いだろう?詮索好きのご婦人方の裏をかいたみたいで。」エリックは悪戯っ子のように笑った。こうして見ると、年相応の少年に見えた。まだ十五歳にもならない少年を、こんなに老けさせるベーカー公爵家とはどんなに恐ろしい所なのかしらと、ウィンは思った。 

 ウィンがふと我に返ると、またうるさいご婦人の話が聞こえてきた。 

 「あの殿方、顔を隠しているなんて、きっと酷い顔なのよ。」 

 「ウィンアウト王女を誑かすなんて、最低の男ね。絶対わたくしの息子の方が、ウィンアウト王女にはお似合いですわ。」 

 「それを言うならわたくしの甥だって・・・。」 

 ご婦人の話を聞いていると、ウィンはイライラしてきた。エリックも女性の話を聞いていたが、全く気にしていなかった。しかし、エリックもウィンが怒っているのは気が付いていた。曲が終わると、エリックはそっとウィンの肩を揺らした。 

 「大丈夫かい?」エリックはそっとウィンの耳元で囁いた。 

 「ええ。・・・ねえ、エリック。今日は、アレストロを祝うパーティーに絶対に来てね。絶対よ。」ウィンはエリックに囁き返すと、頬に口付けをした。 

 エリックは驚いて呆然とした。周りの人々は、ウィンの行動に驚いて突っ立っている。ウィンは大声を上げた。 

 「逃げて!」 

 エリックも周囲の人間もその言葉で自分を取り戻した。ウィンアウト王女を誑かした男を捕まえて、その仮面を引っ剥がそうと貴族の殿方たちがやって来る。エリックは、走り出した。エリックが一声上げると、会場に黒馬が一頭現れた。今までずっと、会場近くに野放しにされていたようだ。エリックは愛馬に跨ると、人々の間を掻き分け、城の近くの森に消えた。 

 ウィンの周りに群がっていた殿方たちは、皆仮面の男を追い駆けて行ったので、ウィンは一人になった。ウィンは鼻歌を歌い、スキップをしながら部屋に戻って行った。このまま会場に留まっていたら、エリックを捕まえ損ねた男たちが、ウィンに仮面の男の正体を問いただすだろう。だから、ウィンはそそくさと部屋に戻ったのだった。 

 ウィンは部屋に戻ると、部屋から庭を覘いた。パーティー会場は大騒ぎだ。ウィンは大声で笑い出したくなるのを、我慢した。ウィンと一番仲の良いフィンとフィージーは、質問攻めにあっていた。ウィンは少し申し訳なく思った。エリックとの友情は、二人には全く関係の無いことだ。二人とも、エリックの存在を知って、周囲の人間と同じくらい驚いているはずだ。ウィンは窓から離れた。 

  ―あとでフィンにだけでも話さないと・・・。― 

 

 ウィンは少し疲れたので、昼寝することにした。 

 

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