第八章

 

 

 

舞踏会当日、アイリスはその赤みを帯びた茶色の髪によく似合うグリーンのドレスを着た。セーラーカラーで白いリボンを押さえる部分に、赤いバラを挿した。袖はゆったりと広がっていて、縁には金糸が縁取ってある。シンプルだが、上品な作りのドレスだった。髪は、綺麗な巻き毛にして、背に垂らしていた。

アイリスは長い間、鏡を見つめていた。

―お父さんと森で暮らしている時は、まさか自分が貴族の娘だとは思わなかった。村で暮らしていた時でさえ、自分のメダルが、自分の運命を決める鍵だとは思わなかった・・・。私が、こんな服を身に着けるだなんて・・・。―

鏡の前にいる少女は、もう祖父を手伝って畑仕事をしていた雀斑だらけの貧相な村娘ではなかった。そこにいるのは、上流マナーをみっちり叩き込まれた貴族の令嬢であった。

その時、ドアがノックされる。

アイリスは物思いから覚めると、ドアをゆっくりと開けた。ローヤルがいた。

アイリスはローヤルを見て、言葉を失った。そこに立っているのは、アイリスのよく知っている、よく動く青い目を持った、悪戯好きの少年ではなく、高貴な血の流れる眉目秀麗な令息であった。

彼は銀糸を縫い取った紺色の上着、漆黒のタイツ、銀のバックルのある膝丈ブーツに、上着と同じ色の縁無し帽をかぶっていた。

ローヤルはローヤルで、ぴょんぴょん跳び回っていたアイリスが、可愛らしいお人形のような姿になっているので、驚いた。

「凄く似合っているよ。」ローヤルは微笑んで言う。

「冗談は止めて。馬子に衣装だって自覚してるから。」アイリスは頬を膨らませて言う。「・・・あなたは、やっぱりこっちの世界の人間なのね。そういう姿のほうが、悔しいけどシックリくるわ。」アイリスは少し間を置いてそっと言った。その表情は、なんだか寂しそうだった。

「何、言ってるんだ。君も元々こっちの世界の人間だよ。」ローヤルは少し困ったように笑うと、ゆっくりとアイリスの腕を取る。「さあ、行こう。」

アイリスは恥ずかしそうに笑って小さく頷いた。

アイリスが会場に入ると、そこに集まっていた人々が、一斉にアイリスを見た。チャイドナリー夫人が招待したのは、アイリスもよく知っている村の若者たちであったが、彼らは二人が誰なのかわかっていないようだった。アイリスは悲しく微笑んだ。

「誰も私達の事がわかってないみたいね。」

「まあ、近づいたら気が付くよ。」ローヤルはなだめた。

この舞踏会に参加している村の若者の多くが、アイリスと共に船で都に遊びに来た者たちであった。彼らの多くが、事情聴取や精神的ショックの為に、今まで都に留まっていたのだった。チャイドナリー夫人は、彼らの傷ついた心を癒すために、ワルツ教室を侍女に開かせていた。なので、ワルツに無縁な若者たちも少しばかり踊る事が出来るようになっていた。

村人たちも皆、都会風のドレスを着ていたが、これもチャイドナリー夫人の計らいだ。今まで自分たちに良くしてくれた彼らに感謝して衣装を贈ったらしいのだが、一言も自分が林檎をもぎっていた女性だと名乗っていないので、誰も彼女の意を汲み取れた者はいなかった。

舞踏会が始まったが、誰一人、アイリスの元へやって来なかった。いや、やって来れなかったのである。彼女の周りに漂う高貴な気配に気後れしてしまったのだ。ローヤルはアイリスを誘うと思ったが、非常に険しい表情だったので、考え直して村人の輪の中に入っていった。

ローヤルは爽やかな笑顔で村娘を悩殺した。ローヤルは村娘たちに声をかけていきながら、アマンダ・マクニール嬢を探していたのだが、そんな事は露知らずのアイリスはますます怒ってしまった。

ローヤルはやっとの事でアマンダを見つけると、ダンスを申し込んだ。アイリスはこれを見て、複雑な思いに囚われた。

―ローヤルはアイビーの事が好きなのかしら?―

アマンダは、貴族の令息にダンスを申し込まれて戸惑ったが、断わるのも失礼だと思い、承諾した。アマンダは、相手がクラスメイトのローヤルだとはまったく思わなかった。

踊り始めるとすぐに、ローヤルはアマンダに話しかけた。

「やあ、アマンダ。元気にやってるかい?」

アマンダは貴族の令息が自分の名前を知っている事に、心臓が止まりそうなほど驚いた。思わず、相手を凝視する。

「あの、私、初めて貴方様にお会いしましたのに・・・。」アマンダはおずおずと言う。

「何を言ってるんだい、アマンダ。僕だよ、ローヤルティー。」ローヤルはニッコリと笑って言う。周りで他の村娘たちが羨ましそうに溜息を吐いている。アマンダは、驚きの余り、足が止まってしまった。

「ご冗談を・・・。」

「本当さ。それにね、あちらに座っておられるご立腹中のご令嬢は、実はアイリスなんだよ。」ローヤルはニヤッと言う。その表情は、アマンダの知っている表情に近い気がした。

アマンダは、ローヤルが指す方を見る。

「・・・でも、アイリスはもっと赤い毛だったはず・・・。来た時よりは、随分色が落ち着いて来たけど・・・。あの御令嬢はどう見ても茶毛よ。少し赤みが入った・・・。」アマンダは戸惑って言う。

「でも、アイリスさ。」ローヤルは言う。「アイリスの所に行ってやってくれないかな。今、凄く怒ってるんだ。」

「・・・確かに、あの怒った表情はアイリスのものね・・・。」小さく笑うと、アマンダはアイリスの所へ足を向けた。

ゆっくりと、アマンダはアイリスに近づく。

「久し振りね、アイリス。」アマンダは遠慮がちに声をかける。「私たちを助けてくれて、ありがとう。あなた、あの後ずっと寝てたし、都に着いた途端姿をくらましたから、心配したのよ。」

アマンダが話しかけると、アイリスはゆっくりと顔を上げた。その顔は、アマンダの知っている顔のようでもあり、まったく知らない人の顔のようでもあった。

「アイリス、あなた変わったわね。私、あなたにこんな気安く話しかけていいのかしら?」

「もちろんよ、アイビー。あなたさえ良ければ。私はアイリスですもの。確かにここに来てから、随分変わったと思うわ。でも、外見に比べると、中身はなかなか変わらないものよ?なのに、みんな外しか見ないから、私が誰だかわからないのよ。私は全く変わってないのに・・・。」アイリスは悲しそうに言う。

「アイリス、それはきっと、あなたが人形のように静かに座っているからよ。下に降りましょう。」

「でも・・・男性に声をかけて貰わないと、私、降りれないの。」アイリスは困ったように言う。

「そんなぁ。」アマンダはムッとする。

そこへ、級友のロバートを連れて、ローヤルがやって来た。

「麗しのアイリス嬢、私とダンスを一曲いかがですか?」ローヤルはアイリスの手をさらうように取り、軽くキスすると、軽やかに一礼する。アイリスは顔が真っ赤になってしまった。

―この馬鹿!なんてこと言ってくれるのよ!―

しかし、アイリスは下に降りたかったので、ムッとしながらも承諾した。

「どうしてそんなに不機嫌なんだよ、アイリス。」ローヤルは困ったように聞く。

「私、不機嫌なんかじゃないわ。勘違いじゃない?」アイリスは一本調子で答えた。

二人がフロアに向かっているのを村人たちはじっと見つめた。二人がフロアに着くと、自然と周りが開ける。音楽が始まると、ローヤルはアイリスの手を取ってリードした。アイリスはここ一ヶ月の猛特訓を思い出した。アイリスがローヤルの足を何度も踏んでも、ローヤルは一度も怒った事が無い。アイリスは自然と微笑を浮かべる。

「どうしたんだい?」ローヤルは首を傾げて聞く。

「少し思い出していたの。ここに来た頃の私を。あの頃の私より、十歳くらい年を取ったみたい。いろんな事が変わってしまったから・・・。この一ヶ月で、私の髪は完璧に茶色になっちゃったわ。どうして髪の色がこんなに急激に変わっちゃったのかしら。」アイリスは寂しげな笑みを浮かべて言う。

「きみがメダルを持ってるから・・・じゃないかな。それくらいしか、考えられないよ。そんな神がかったこと。」ローヤルは眉を顰めて答えた。 

 

 

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Photo by Four seasons

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