第三章
高慢ちきで、高飛車で、非常に冷たい氷のようなお姫様。それが、コアケッド王女という人だった。それは学園にいる誰もが知っていた。
いつ、王女様の怒りの矛先が自分に向くか、誰もが恐々としていた。
そんな彼女の怒りを抑えられるのは、同年代だけではローヤルティー・チャイドナリーという王女様の幼馴染だけだった。時々、ふらりと都に戻ってくるチャイドナリー家の御曹司だけが、王女の純粋な笑顔を出せたし、王女と軽口を叩けるのだと、誰もが知っていた。
しかし、今学期、その常識が崩れ去った。
初めて、コアケッド王女が、同年代の少女と連れ立って歩いていた。しかも、ローヤルティー専用の笑顔だと思われていたものを浮かべて。
その少女は、恐ろしいほど、コアケッド王女と酷似していた。違うのは、髪と瞳の色だけで。
学園内で、王女が楽しそうに笑う姿を見れる日が来ようとは!!
こんなくつろいだ王女の姿を、城以外の場所で目撃されたのは、ローヤルティーが都を去って以来、実に十年ぶりだった。
一ヶ月経ったが、相変わらず、アイリスはコアケッドとローヤル以外の友達はいなかった。といっても、神学校に入ってから、まともにローヤルと話したことなんて殆ど無い。
ローヤルがアイリスに話しかけるのは、コアケッドとアイリスの二人きりの時くらいだ。しかも、話しかける内容はアイリスに警戒を呼びかける内容ばかりで、村でよく話していたような他愛の無い話は一度もしていない。
しかも、困った事に、アマンダが恐ろしい事を言うのだ。アイリスとコアケッドが良く似ていると。
アイリスはアマンダが言った事を、理解できなかった。
確かに、アイリスとコアケッドは体重も身長も同じだ。あと、誕生日も。だが、二人が一緒なのは、それだけだ。髪の色も、瞳の色も、髪型だって違う。
コアケッドのほうが、アイリスより少し、胸が大きいようだし、細身のアイリスよりウエストが小さいような気がする。大体、コアケッドの方が、アイリスに比べて遥かに美人だ。それに、彼女は天然の巻き毛。アイリスは、どうしようもないハネ毛だ。
その事をアマンダに告げると、アマンダは肩を竦めた。
「あなたがそう言い張るなら、それでいいけど。でもね、アイリス。あなたに友達が出来ない理由は、あなたが怖いくらい王女様に似てるからだと私は思うわ。みんな、あなたを敬遠してるのよ。」
アマンダの真剣な表情で言うと、自室へ戻っていった。
アイリスはアマンダが去った後も、呆然としていた。
―私が、コアケッドと似てる・・・?有り得ないわ。―
アイリスは乾いた笑みを浮かべる。
―私は一介の村娘。異常事態で、今は都にいるけれど、いずれ、元の村に帰るのよ。ローヤルはこっちの世界の人間だけど、私は違う。私の世界は、あの村よ・・・。―
アイリスはそっと鏡を覗き見る。
そこに映るのは、ダークブロンドの巻き毛を垂らした貴族の娘だった。
ここ一ヶ月で、アイリスの髪は茶毛からダークブロンドに変化していた。もう、ここにいる人間の殆どが、アイリスの元の髪の色を知らない。
アイリスは乱暴に髪を掻き乱す。もう、自分が誰だかわからなかった。
―私は誰・・・?どうして、髪の色が変わるの?本当に、村に戻れるの・・・?―
アイリスは乱暴に立ち上がると、部屋から出て行った。
アイリスは足音荒く、図書館に向かった。あの、静かな場所に行けば、荒立った自分の心が落ち着くかもしれないと思ったからだ。そして、実際、図書館の少しかび臭い本の匂いに包まれた瞬間、波立っていたアイリスの心は、穏やかになっていった。
アイリスは歩みを緩め、適当な書棚に近付く。この、大量の本に接せられるだけ、自分は幸運なのだ。昔の自分なら、この学校に入れれば、他に何もいらないと考えていた。だから、髪の色がどうなろうが、皆が自分を避けようが、どうでもいいじゃないか。
アイリスは小さく溜息を吐くと、古そうな本を手に取る。
と、その時、カツンと靴音が静かな図書館に響いた。何事かと頭を上げると、一人の男子生徒がアイリスに近付いてきた。
滅多に、アイリスに近付く人間はいない。先生や王女からの伝言なんかを伝えるために近付くのが殆どだ。彼らの表情は硬く、引き攣った笑みを浮かべている。悪ければ、無表情だ。そして、彼らはアイリスがお礼をする間もなく、去っていく。しかし、この男子生徒は穏やかな笑みを浮かべていた。
銀に近い金髪を長く伸ばしたこの生徒は、眉目秀麗の集まるこの学園でも、かなりの美形だ。ローヤルとはまた違った意味で、女子生徒に大人気だというくらい、アイリスでも知っている。確か、名前はアレン・カルベルト。
「やあ。今日は一人なの?」
彼はにこやかな笑みで、アイリスに呼びかける。
「ええ。あの・・・私に何か用かしら?」
アイリスは社交的な笑みを浮かべて聞く。この生徒とローヤルが一緒にいるのを一度として見た事がない。アイリスは警戒していた。
「そんなに怯えなくても、大丈夫。僕は君に噛み付いたりしないよ。」
アレンはアイリスの不安を見透かしたように言う。その軽薄な笑みが、より一層アイリスを不安にさせた。
「・・・そうは思えないけど・・・。」
「ハハ。君は随分とハッキリとモノを言う子だね。やっぱり君は、この学園にいる生徒と違うらしいね。そういう子は嫌いでは無いよ。」
アレンはニコリと言う。アイリスはアレンの言葉を聞き、目を細める。
―この人は・・・私が何者か知ってるだけでなく、何をしでかしたかも知ってるみたい・・・。―
「ねえ、なんで怒ってたんだい?図書館に来た時、随分荒い足音がしたけど。」
アイリスの変化に気付いていないのか、アレンは今度はおどけた表情で言う。この男が何を考えているのか、アイリスには皆目わからなかった。ただ、一つ言えるのは、貴族社会の中で相当上位の、かなりの情報を持っている人間だと言う事だ。
恐らく、この生徒はアイリスが、神から授かった特別な力について知っている筈だ。
アイリスはますます顔を強張らせる。
「あっ・・・あなたには関係ないでしょう。」
アイリスの声は震えていた。
「本当に関係ないって言い切れる?」
アレンはその色素の薄いブルーの瞳を細めて嗤う。
「いっ・・・言い切れるわ。」
アイリスは気力を搾って言い切った。
「そう・・・。外見はソックリだけど、中身はやっぱり違うみたいだね、君とコアケッド王女は。王女だったら、僕が声をかけた時点で、冷たくあしらっただろう・・・。でも、王女は弱いからね、すぐに脆く崩れるよ。ああやって、高飛車なのは、弱さを人に見せたくないからさ。・・・でも・・・君は強いね。この僕相手にここまで言えるなんて、君くらいじゃ無いかな?」
クククと可笑しそうに笑いながら、アレンは言う。しかし、その瞳は冷たく、アイリスを値踏みしていた。
「また、それ・・・。言っとくけどね、私とコアケッドは似てなんかいないわ。ただ、誕生日が一緒なだけ。よく言うでしょ?同じ星の下に生まれると、何処と無く似てるって。背とか、体重が一緒なのは、他人の空似よ。それ以上くだらない事言ったら、私、怒るわよ。」
アイリスは一番癇に障る事を言われて、瞳に炎を煌かす。
それを見て、アレンは少しだけ目を見開いた。
「・・・それはもう怒ってるって言うんじゃないかな?・・・おっと、もう騎士の登場か。残念だな。もう少し、じゃじゃ馬なお姫様とお喋りしていたかったんだけどね。彼は僕を毛嫌いしていると見えてね。・・・凄い形相だな。よっぽど、君のことが大切なんだね、アイリス。」
クスリと笑ってアレンは言う。
アイリスは誰かと思い、振り返る。すると、眉間に皺を寄せたローヤルがズンズンと近寄ってくる。
―あっちゃー・・・。―
アイリスはパチンと額を手で打つ。
「カルベルト、あなた勘違いしているわ。ローヤルは私に怒って・・・。」
アイリスは慌ててアレンの勘違いを正そうとするが、時既に遅し。アレンは既にいなかった。
「カルベルト・・・?」
アイリスは首を傾げて辺りを見回すが、彼は何処にも見当たらない。
「あれ・・・?」
「何が、あれだ。あれ程、警戒を呼びかけたのに、君は・・・。あいつ、君に何か言わなかったかい?変な事。」
ローヤルは険しい顔で言う。
「変な事・・・?そうね、私とコアケッドが似てるとか言ってたわね。何なの?あの人・・・。とっても失礼なのよ。私の事、じゃじゃ馬とか言ってたわ。」
思い出しただけでも腹が立つ。それに、もっと失礼な事を言っていた。コアケッドが弱いとか、なんとか・・・。アイリスは眉間に皺を寄せる。
「・・・ねえ、ローヤル。私とコアケッドってそんなに似てる?」
アイリスはポツリと聞く。
ローヤルはその質問を聞いて、眉根を寄せた。
―余計な事ばかり吹き込みやがって・・・。―
「さあな。それは、見る人によって違うんじゃないか?外見だけで言うなら、背格好が一緒だからな、似てるって言うと思うよ。」
ローヤルは肩を竦めていう。
「そう。それなら、いいの。」
アイリスは苦笑を浮かべて言うと、歩き出す。
アイリスが消えてしまいそうで、ローヤルは思わずアイリスの肩を強く掴んだ。
「なっ、何?」
アイリスは驚いてローヤルを見る。
「あっ・・・その・・・。・・・アレン・カルベルトには気をつけてくれ。・・・あいつは、何を考えているかわからないヤツなんだ。」
「わかった。ローヤルの忠告は、必ず聞くわよ。私。それじゃあね、ローヤル。コアケッドとアイビーが、きっと心配して待ってるわ。」
ニコリと笑ってアイリスは言うと、今度こそ歩き出す。
ああ、きっと。このままでいる事はもうできない。
アイリスが赤毛の少女に戻る事はないように。
もう、歯車は動き出してしまっているのだから・・・。
ローヤルは拳を強く握り締めた。
Photo by Four seasons