第三章

 

 

 

ローヤルと司祭が部屋を退出したのと同時に、修道女が三人入ってきた。一番先頭にいた女性は、ゆったりとした白い衣を身に着けていた。アイリスは白い衣を身に着けた修道女を初めて見た。白い衣を着けられるのは、女性では修道女よりランクが上の巫女だけだからだ。顔には、知識人特有の皺が刻まれており、フードから零れ出ている解れ毛は綺麗な銀色だった。

「こんにちは、ミス・ノウドゥリー。わたくしは司祭の妹で、ここの大巫女のシャーです。」

老女はフードを外し、ニッコリと柔和な笑みを浮かべて言う。

「お会いできて光栄です。」

アイリスは慌てて挨拶をする。

「後ろの二人は修道女です。これから、わたくし達であなたの準備をします。」

シャーは少し離れた所にいた二人を呼び寄せながら言った。二人の女性は、若く、白でなく、灰色の衣を着けていた。村にいた修道女と同じ衣だ。二人は衣を持っている。それは眩しいほどの純白の衣だった。

「神殿には白と灰色の衣しかないの。だから、あなたには巫女の服を着てもらうわ。あなたは神のメダルの保持者。あなたに相応しい色は、白よ。」

「巫女の服を着させて頂けるなんて・・・。身に余る極みです。」アイリスは頭を低くして言った。

一時間後、アイリスは純白の長いワンピースを着た。髪は巫女特有の一本の三つ編みにし、頭の上にはオリーブで作った冠が載っている。神殿の中庭にある泉を覘くと、自分に似た、だけれども自分とは違う女性が見返してきた。

―私は一体、誰なんだろう・・・。本当に、私は私が思ってるような人間なの・・・?―

ここに来て、自分の世界が音をたてて崩れ始めた。城に行けば、もっと世界の破壊が進むのではと、アイリスは漠然とした不安を感じる。でも、逃げる事は許されなかった。そうしたら、父親と同じ過ちを犯すことになる。祖父母は許してくれないだろう。もう、アイリスに戻るところなど無いのかもしれない。何を信じればいいのか、今のアイリスには判らなかった。

すると、一陣の風が吹き、水面が揺れる。次に泉に自分が写った時、後ろにローヤルティーの姿があった。アイリスは慌てて後ろを振り向く。すると、白い衣服を羽織ったローヤルがいた。

「ローヤル・・・。」アイリスは小さな声で呟く。

「アイリス、大丈夫かい?」ローヤルが心配そうに眉間に皺を寄せて言う。

「・・・ええ。」アイリスは頑張って笑みを作って答える。

ローヤルはその瞬間、ますます眉を険しくする。そしてそっと、アイリスの頬に手を当てた。アイリスは驚いて息を呑むが、声を出せなかった。

二人は暫くそのままでいたが、ローヤルは急に手を離し、クルリと背を向けた。

「そろそろ時間だ。着いておいで。」ローヤルはアイリスを見ずに言うと、ツタツタと歩き出す。

アイリスは、急いでローヤルの後を追った。

正面玄関で、ゆったりとした灰色のマントを纏い、三人は豪勢な馬車に乗り込んだ。司祭は金の縁取りがしてあるゆったりとした白いローブを着ていた。

王宮は、白い壁に緑の屋根で、様々なところに意匠が凝らされた巨大な建造物だった。アイリスはその巨大な扉を潜り抜け、従僕の案内で大きな広間に連れて行かれた。アイリスはあまりの大きさに目を大きくしたが、実はこの広間は王宮の中で一番小さな広間だった。

長テーブルに国王を始めとする国の主要メンバーが座っていると気が付くと、アイリスはどっと緊張した。国王達の厳しい目が、恐かった。

司祭はゆっくりとフードを脱ぎ、口を開く。

「国王陛下、王妃陛下、王女殿下、並びに大臣閣下。こちらにおりますのは、神のメダルの所持者である二人じゃ。こちらが親子二代に渡って神に忠誠を誓った、神の使いであるローヤルティー・チャイドナリー。そしてこちらが『虹』 という名を持つアイリス・ノウドゥリーじゃ。」

ローヤルがフードを取ったので、アイリスも急いでフードを外すとお辞儀をする。

「プリースト殿、お連れの方々と共に、余の隣に座ってくれ。」国王が太い腕で両脇の空いている椅子を指しながら言う。

「ありがたき幸せです、陛下。」

アイリス達はマントを脱ぎ、召使に渡すと、指示された席に着く。アイリスはローヤルの隣に座った。目の前には、年に一度だけ肖像画を拝見していたコアケッド王女が座っていた。

国王はゆっくりとぶどう酒の入った杯を持ち上げる。

「では、会食を始めるとしよう。若き二人の活躍に乾杯!」国王の朗々とした声が響き、晩餐会が始まった。

アイリスは初めてのことばかりで、ドキマギしていたが、ローヤルは慣れているようだった。上品にナイフとフォークを使いながら、司祭と国王の話に相槌まで打っている。たかが、村の少年にどうしてそんな芸当が出来るのだろう?アイリスは首を傾げた。しかし、その謎はすぐに解けることになった。

司祭と話していた国王は、今度はアイリスとローヤルの方に首を動かした。

「久し振りだな、ローヤルティーよ。父上は元気か?」国王は優しい笑みを浮かべて言う。アイリスは驚いて、フォークを落としそうになった。国王の口調は、ローヤルの父親を知っているような親しさを感じさせた。

「元気で御座います、陛下。父の事を気遣って頂き、身に余る光栄です。」ローヤルは国王に全く臆せもせず答えている。

「なに、昔馴染みの仲じゃ。今度都に戻ったら、必ず余に会いに来るように伝えてくれ。」

「畏まりました。」

アイリスは二人の遣り取りに唖然とした。

―今・・・陛下はなんて仰った・・・?昔馴染み・・・ですって・・・!!?―

アイリスは新たな情報に頭がパンクしそうになった。また、自分の立っている世界が足元から崩れている。

―私は・・・あとどれくらいこの世界に立っていられるのかしら・・・?完全に崩れてしまったら、私はどうなるのかしら・・・?―

アイリスが物思いに沈もうとした時、恐ろしい事に国王がアイリスに声をかけてきた。

「ミス・ノウドゥリー。」

アイリスはハッとして国王を見る。

「・・・何でしょうか、陛下。」アイリスは擦れる声で何とか答えた。

「そなた、不思議な力を持っているようじゃな。そなたについて、詳しく教えておくれ。」

アイリスは困惑した。自分はその事について、何も知らないからだ。困った顔でローヤルと司祭の顔を見た後、アイリスは恐る恐る口を開いた。

「あの・・・国王陛下、私にもよくわからないので御座います。気が付いたら海賊が倒れていまして・・・。」

「そんな筈はない。よくわかっているのだろう?」国王は太い濃茶の眉を少し険しくしながら言った。

アイリスは困り果てた。本当にわからないのだ。でも、このままでは国王の怒りに触れてしまう。その時、助け舟がやって来た。

「父君、ミス・ノウドゥリーは初めて都に来たそうですわ。ローヤルティーとは違います。もっとここに慣れて、あの時の事を振り返られるようになってからでよいではないですか。聞く所によると、彼女、ついこの間まで“神のメダル”について何も知らなかったんですよ。」コアケッド王女は鈴のような美しい声で、国王に言う。

「ふむ、確かに姫の言う通りじゃ。」国王は追及の手を緩めた。

アイリスはホッとしたように小さく息を吐く。すると、王女が話しかけてきた。

「ねえ。あなた、幾つなの?」

「十四で御座います、王女様。」アイリスは畏まって答える。

「あら、わたくしと同い年なのね。王女様なんて、堅苦しいからやめて頂戴。コアケッドでいいわよ。あなたの事も、アイリスって呼んでもいいかしら?」コアケッド王女は綺麗に微笑みながら言った。綺麗な青い目が踊っている。

「身に余る光栄です。」

「そんなに畏まらないで頂戴って言ってるでしょ?わたくしとあなたはもうすぐ同級生なのよ。」王女は頭を揺らして言う。黄金色の巻き毛が綺麗に揺れた。

アイリスは王女の言葉に驚いて口をポカンと開く。ローヤルも驚いたようだ。ハッとして王女を見やってる。

「あら、聞いてないようね。あなたとローヤルティーは“神のメダル”の保持者。無条件で神学校に入れるのよ。今、あなたたちは都にいるんですもの。父君は、おうあなた方の編入手続きをされたわ。夏休みが終われば、同じ教室よ。」コアケッド王女は嬉しそうにコロコロを笑いながら言った。

―私が・・・憧れの神学校に・・・!?―

アイリスは無意識の内に首から提げているメダルを撫でていた。

その時、会食の間ずっと沈黙を保っていた王妃が口を開いた。

「そこの、アイリスとやら・・・。“神のメダル”をわらわにみせてくれぬか。」王妃の声は低く芯があったが、その中には悲しみの音色しかないようだった。

アイリスは驚いて司祭を見て、それから恐る恐る国王を伺った。国王が小さく頷いたので、アイリスは意を決して立ち上がり、国王の隣に座っている王妃の手に自分のメダルを乗っけた。

王妃は、メダルを持ち直すと、優しくそっと表面を撫で始める。王妃の瞳はここ十四年、ずっと閉ざされていた。一説によれば、コアケッド王女が生まれたばかりの頃、王女を誘拐しようと試みた盗賊によって失明したそうだ。勇敢な女性である。王妃の左目には生生しい傷が今も残っていた。

王妃は、その閉ざされた瞳から一筋の涙を流す。

「そなたの・・・顔が見てみたかった・・・。」王妃はアイリスの頬をサッと撫でると、メダルを返した。

アイリスは、王妃の顔をじっと見ながら、心がカラになるのを感じた。

 

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Photo by Four seasons

 

 

 

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